昭和60年8月12日、520人の命を一瞬にして
奪った日航ジャンボ機墜落事故が発生しました。
世界の航空史の中で最多の犠牲者を
出したこの事故で、美谷島邦子さんは
次男の健さんを失います。
以来37年、多くの遺族が集まる
「8・12連絡会」の事務局長として
会報や文集をつくり続け、
講演活動で遺族の声を届け、
紙芝居や絵本で命の大切さを訴えてきた
美谷島さんが見つけたものとは――。
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(――絵本『けんちゃんのもみの木』を拝読
しました。日航機事故で息子さんを亡くされた
美谷島さんの深い祈りのようなものが伝わって
きました。)
〈美谷島〉
ありがとうございます。今年も8月12日が
近づいてきましたので、私も改めて読み返して
は健のことを思っているところです。
8月12日に向けて、ここ1か月くらいは
会報づくりでバタバタしています。
この「おすたか」という会報は36年前に
創刊号を出して今回で114号になります。
私は「8・12連絡会」の事務局長を務めて
いるので最初から関わっています。昔は毎月
のように出していましたが、いまは年に
2回くらいになりました。でも、
いまだに「おすたか」が届くと、玄関でその
まま見入ってしまうというご遺族もおられます。
(――連絡会にはどのくらいの方が
参加しておられるのですか?)
〈美谷島〉
連絡会ができた当初は280家族が会員になって
いました。いまでも140家族と連絡を取り合って
います。
36年というと、子供が育って、孫が生まれて、
というような歳月ですよね。
今年(2021年)も12日に御巣鷹に登るのですが、
挨拶をしてすれ違うだけでも
「ああ、あの子の家族はこうなっているんだな」
って分かるんですよ。
そういう関わり合いを36年間続けてこられた
のは幸せなことかもしれませんね。
(――事故が起こる前は
どういう生活を送っておられましたか。)
〈美谷島〉
専業主婦です。家にいて3人の子供を育てて、
地域のボランティア活動や
精神障がい者の支援をしていました。
事故に遭った健は小学3年生で、
野球が好きで活発な子でした。
うちは祖父母も同居する大家族で、
健は末っ子だったのでみんなから
可愛がられていました。
私も3人目だから自由にのびのび育てたいと、
子育てを楽しんでいました。
★美谷島さんのお話は続きます。
35年間活動を続けてきたある時、
ふと聞こえたという健さんからのメッセージ。
親子の愛の深さに涙を禁じ得ません。
本記事のお話に続いて、以下のようなお話を
していただきました。
■心の中に健が入ってきた
■命の大事さを子供たちに伝えたい
■三十五年目に聞こえた「さよなら」
■一日一日を大切に過ごす
美谷島邦子さんへのインタビューは
「致知電子版〈アーカイブ〉」でお読み
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!