35歳の若さでJリーグ・FC岐阜社長に
就任するも、突然難病が発生し、重
度障碍者となった恩田聖敬さん。
本誌では、同じく10万人に1人がかかる
という難病を抱えながらも道を切り
ひらいてきた佐藤仙務さんと
じっくりと語り合っていただきました。
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恩田 聖敬(まんまる笑店社長)
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佐藤 仙務(仙務社長)
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【恩田】
ALS(筋萎縮性側索硬化症)という病気
について少し説明しますと、ALSは
筋肉を動かす運動神経のみが侵され、
全身の筋肉がだんだん弱くなって
いく難病で、原因は不明です。
病気の進行によって自力歩行ができなく
なり、話せなくなり、やがては自力で
呼吸できなくなってしまい、人工
呼吸器が必要になります。
ただ、知覚や思考は奪われません。
現在、日本に約9,000人の患者
がいると言われています。
遺伝性ではないので、誰にでも
起こり得る病気です。
【佐藤】
突然の難病の宣告をどのように
受け止められましたか。
【恩田】
自分の体が動かなくなる未来を想像し、
まさに絶望の淵に落とされた
気持ちになりました。
そして真っ先に頭をよぎったのが妻
や幼い子供たちのことでした。
妻はどう思うだろうか、私を見捨てて
しまうのではないか。
幼い子供をどう育てればいいのか、
様々な思いが頭の中を巡りました。
でも、悩みに悩んだ末、妻に単刀直入
に病気のことをすべて話しました。
すると妻は私から目を逸らさずに、「あ
なたに生きる意思があるなら、一緒
に生きていきましょう」と
言ってくれたんです。
【佐藤】
あぁ、奥様が。
【恩田】
いまも妻の存在は最大の支えですね。
ただ、実際に生活していく上では、
妻と何度もぶつかりました。
私が少しでも元気をなくしたり、ボーっ
としていると「病気を言い訳にしない
で!」「父親として子供の面倒を
見て!」「あなたなら、ALS
でもできる方法を考えられる
でしょう」と叱られるんです。
もしかすると、病気の前より厳しい
かもしれません(笑)。
※絶望を残り越えた先に恩田さんが
見えてきたものとは何だった
のでしょうか。
この対談は9頁にわたって最新号
で紹介されています。
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『致知』には感動実話が満載です
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『致知』 2018年3月号【最新号】
特集「天 我が材を生ずる 必ず用あり」P20
今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝