あるべき日本のインテリジェンスの方向を見定めたい 第1,285号

 著者発掘の一次資料による歴史解明!陸軍中野学校

とは何だったのか?中野学校出身者はそこで何を

学び、戦地でどのような役割を果たしたのか。

 満洲国、731部隊、南京虐殺から太平洋戦争までを、

諜報・宣伝の観点から見直し、近代戦における

インテリジェンスのもつ意味を明らかにする。

 国際社会とくに極東での緊張感の高まりは、特定秘密

保護法や国家安全保障会議、安保関連法を生み、国

民のインテリジェンスへの関心を高めている。

 もともと日本は海洋で孤立した国家という地政学的

位置にあり日本人は国際的なインテリジェンス

への関心が低く、その経験も浅いといわれる。

総力戦といわれたアジア太平洋戦争では、

世界の広い地域の前線に戦士を送り、

多数の戦死者、捕虜を出した。

 銃後の国土では数百万の出征者家族、被災者を

生み出し、あげくには有史以来、初めて敗北

し、他国に占領されるという憂き目を見た。

 日本ならびに日本人は帝国主義国家として広大な

他国を占領した喜びもつかの間、敗戦国とし

ての消し難い大きな屈辱を味わった。

 われわれは一、二世代前の人たちの経験を冷徹に検証、

評価しながら、自らのインテリジェンス・リテラ

シーを高め、あるべき日本のインテリジェ

ンスの方向を見定めたいと思う。

 岩畔豪雄・秋草俊合作の中野学校陸軍中野学校はゾルゲ

の日本での活動期間に相応する時代に創設準備が始まった。

 秋草はソ連、満洲でインテリジェンス工作を行なって

実績を挙げた陸軍屈指の中堅将校として括目され

始めていた。彼は少人数のセミナー形式で

天皇制も自由に論じさせ、公私に

学生に身近に接した最初の所長であった。

 岩畔は筆者入手の中野関係の公文書には登場しないが、

陸軍中枢に発言力があった陸軍大学出の若手実力者

であった。1938年には陸軍省軍事課長、大佐と

なった。戦術戦略の石原莞爾に相当する

異能のインテリジェンス将校で、科

学的、巨視的な視野でさまざまな工作を企画、実践した。

 徹底した秘密主義特別選考のための事務員、試験官

などの国内各校、満洲への派遣費はばかにならな

かった。学生に軍服を脱がせ、背広を

支給する必要もあった。

 秋草は自身のロシア、欧州、満洲などでの長期にわたる

「隠密」工作の経験から、卒業生の厳しい工作員

ライフを予想し、彼ら中野学校生には学内

での講義、教練だけでなく、内外での

演習で現場感覚と精神力を生徒

個々人に鍛錬させることをねらっていた。

 創立時には、じっくりとインテリジェンスの教養

と「諜報謀略的人格」を身に付けさせ立派

な「情報勤務者」を育成する意図を学校

創設時に掲げていたのだ。

 山本武利『日本のインテリジェンス工作、

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 今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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