おれは勝ったと図に乗り.怠りや慢心がでるのが一番悪い 第 740 号

 昭和20年8月14日、正午。

 総理大臣・鈴木貫太郎元海軍大将は、

すくっと立つと、原稿はおろかメモ

一つなく、語り始めた。

 8月9日の第一回の聖断以来のすべての

出来事をよどみなく報告するのである。

 そして最後にいった。

 「ここに重ねて、聖断をわずらわし奏るのは、

罪軽からざるをお詫び申し上げます。

 しかし意見はついに一致いたしませんでした。

 重ねてなにぶんのご聖断を仰ぎたく存じます」

 不気味な静寂がしばし流れた。

 やがて天皇が静かに口をひらいた。

 「反対論の趣旨はよく聞いたが、私の考えは、

この前いったことに変わりはない。

(中略)

 この際、先方の回答をそのまま、

受諾してよろしい」

 鈴木首相をはじめいならんだ23人の男たち

は、深く頭をたれ、嗚咽し、眼鏡を

はずして目を拭った。

 「この際、自分にできることは何でもする。

私が国民に呼びかけることがよければ、

いつでもマイクの前にも立つ。

 ことに陸海軍将兵は非常に動揺するであろう

 陸海軍大臣が必要だというのならば、自分は

どこへでもいって親しく説き諭してもよい。

 内閣では、至急に終戦に関する

証書を用意してほしい」

聖断はここに下った。

 —鈴木貫太郎は、江戸時代の慶応3年

(1867年)に生まれた。

 譜代大名・久世家の代官の家柄であった。

 貫太郎は、群馬中学、攻玉社を経て、

海軍兵学校へ入学。

 薩摩出身者が仕切っていた海軍では、

旧幕府側の貫太郎は苦労した。

 海軍に入った貫太郎は、勝負事もせず、

大酒も飲めず、よく本を読んだ。

 歴史書や伝記を好み、さらに古今東西

の兵学書を耽読した。

 のちに海軍大学校に入り、これらの

膨大な読書が役立った。

 日清戦争に参加後、中佐になった貫太郎

は、薩摩閥の優遇に怒っていた。

 「海軍を辞めよう。病気と称して帰国しよう」

と荷物をまとめていた彼に、父から手紙が届いた

 父は手紙の中で無心にわが子の中佐進級を喜び、

しかも次第に迫り来る祖国の危機を真から憂え、

「ロシアとの一戦は避けられないだろう。

 このときこそ大いに国家のために尽くさねば

ならぬ」と切々と訴えていた。

 それは疑いもなく鈴木の脳天に打ち

落とされた痛棒だった。

 貫太郎はおのれの心を恥じた。

鈴木貫太郎の部下への訓練指導は

激しいものであった。

 そのため、彼は「鬼貫太郎」「鬼貫」

の異名をとる。

 また日清、日露戦争での彼の戦いぶりも、

激しく、注目を浴びた。

 平時は穏やかなこの男が、戦場にあっては

誰よりも実戦型の闘将であることを示した。

 日露戦争後、鈴木は海軍大学校の教官となる。

 修身、修養、徳義と兵学は一体であり、むしろ

まず克己があり、その延長に兵学がある、

と鈴木は身をもって示した。

 いかに戦略戦術が秀でていようと、克己という

犠牲的精神がなければ、真の勝利はない。

 おれは勝ったと図に乗り、怠りや慢心が

でるのが一番悪い。

 鈴木教官の指導はこの一点にかかっていた。

 学生達には、田舎の村長が袴をはいたような

感じの教官と感じられ、ヨーロッパ流の

近代兵学の理性や叡智とはおよそ

無縁ともみえる指導だった。

 むしろ禅の匂いと香り、隠者の風格があり

その静かさや穏和さの底に、無限の

沈勇大胆が包蔵されているのを

かれらは感じさせられた。

 その後、鈴木は「明石」艦長、「宗谷」

艦長、水雷学校校長、練習艦隊司令官、

海軍兵学校校長、。

 戦艦「敷島」艦長、少将で海軍省人事

局長、海軍次官を歴任。

 40歳を越えたころから、その風格と態度

には重々しさと厚みを加えた。

 精神家とも映り、東洋的な大人(たいじん)

という感じをみる人に与えた。

 そして、それからも順調に昇進を重ねた。

 第二艦隊司令長官、第三艦隊司令長官、

聯合艦隊司令長官、軍事参議官だ。

 さらに大正14年、海軍軍令部長となる。

 鈴木はその後、侍従長などを経て、

内閣総理大臣となる。

 そして、終戦へ導く。

 そして戦争が終わった。

 徹底抗戦、一億玉砕論が渦巻くなか、平和を

希求する昭和天皇と、国家の分断を阻止し、

戦争を終結に導いた宰相との感動の物語。

 「日本敗戦」を描いた不朽の名作。

 「半藤さんは(本書において)天皇と大元帥

の二重性格の相克を主題に据えた。……

 それこそは、昭和史の根底にある

最大の動乱の因子である。

 無条件降伏をきめたのは天皇である。

 それを核心として、本書「聖断」は構成された。

 とくに、終戦工作の内情を究明した

部分は圧巻である。

 今後の史書を修正する人もあるだろう。……

 ノンフィクション文学の輝かしい成果である」

 半藤一利『聖断:昭和天皇と鈴木貫太郎』

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 価値観がゴロッと変わった!! 8/15のいわゆる

玉音放送を聞かれ、戦後民主主義を生き抜く

原点となったであろう世代の人達が枯れる

ように少なくなってきている。

 今回も最後までお読みくださり、ありがとう

             ございました。 感謝!

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