お茶を習い始めて二十五年。就職につま
ずき、いつも不安で自分の居場所を探
し続けた日々。失恋、父の死とい
う悲しみのなかで、気がつけ
ば、そばに「お茶」があった。
がんじがらめの決まりごとの向こうに、
やがて見えてきた自由。「ここにい
るだけでよい」という心の安息。
雨が匂う、雨の一粒一粒が聴こえる…
季節を五感で味わう歓びとともに、
「いま、生きている!」その
感動を鮮やかに綴る。
毎日がよい日。雨の日は、
雨を聴くこと。
会いたいと思ったら、会わ
なければならない。
好きな人がいたら、好きだと
言わなければいけない。
花が咲いたら、祝おう。
恋をしたら、溺れよう。
毎週土曜日の午後、私は歩いて十分ほど
のところにある一軒の家に向かう。
私は、庭に面した静かな部屋に入り、
畳に座って、お湯を沸かし、お茶
を点て、それを飲む。ただ
それだけを繰り返す。
そんな週一回のお茶の稽古を、大学生
のころから25年間続けてきた。
生きにくい時代を生きるとき、真っ暗闇
の中で自信を失ったとき、お茶は教えて
くれる。「長い目で、今を生きろ」と。
頭で考えようとしないこと。
「習うより、慣れろ」
ひたすらお点前を繰り返す稽古が始ま
った。順番を暗記しようとしたら、
先生にぴしゃりと止められた。
「そうやって、頭で覚えちゃダメなの。
稽古は、一回でも多くすることなの。
そのうち、手が勝手に動くよう
になるから」
「神は細部に宿る」という言葉がある
けれど、お茶は細部にわたるこだわ
りの集合でできていた。
自然に身を任せ、時を過ごすこと。
茶道はむかし、身分ある男たちの教養
で、名のある武士たちは必ず、お茶
をたしなんだ。豊臣秀吉は、利
休を戦場にまで伴って、茶
を点てさせたという。
だけど、今のお茶会は「女の海」だ。
茶道が男のものだったことが、今
では信じられないほどだ。
先生は言う。「お釜の前に座ったら、
ちゃんとお釜の前にいなさい。心
を『無』にして集中するのよ」
20年お茶をやっていても、私はちっと
も「無」になってなれない。頭の中
が、考え事に占領されている。
雨は、降りしきっていた。私は息詰
まるような感動の中に座っていた。
雨の日は、雨を聴く。雪の日は、
雪を見る。夏には、暑さを、
冬には、身の切れるよ
うな寒さを味わう。
どんな日も、その日を思う存分味わう。
お茶とは、そういう「生き方」なのだ。
そうやって生きれば、人間はたとえ、
まわりが「苦境」と呼ぶような事態
に遭遇しても、その状況を楽しん
で生きていけるかもしれないのだ。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!