長崎で活動を続けている
カトリックの神父・古巣馨さん。
名もなき多くの人たちと出会い、
その生き方を通じて、キリストの福音の
真の意味に気づいてこられました。
その中でも忘れ難いのが、
60代のミネやんという男性との
出会いだったといいます。
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<古巣>
ミネやんとの出会いは
島原の小さな教会に赴任した時でした。
その頃、私は郊外にある精神科の病院を
訪ねるのが楽しみでした。
職員や仲間から「ミネやん」と愛称で呼ばれる
信者さんが待っていてくれたからです。
心が通い始めた頃、
私はミネやんに尋ねました。
「きつい時、『聖書』のどの御言葉が
支えになってきましたか?」
「神父さん、私は中学校しか出とりませんから、
難しかことはよう分かりません。
でも、せっかく洗礼を受けて
神様の子供になりましたから、
死んだ時、
『あぁこの人は神様の子供だったんだ』って、
言われてみたかとです」
そう言ってミネやんは、
たまたま開いた『聖書』に
「平和のために働く人は幸い、
その人は、神の子と呼ばれる」という言葉を
見つけ、これこれと意を決しました。
「だから私は平和のために働くとです」
私が揚げ足を取って「この病院で、どがんふう
に平和のために働く?」と言うと、ミネやんも
眉間にしわを寄せて答えました。
「そこですたい、問題は。
どうしたら平和のためになりますかね」
そう言って、
自嘲するかのようにクックと笑いました。
ほどなくミネやんは肝臓癌を発症し、
みるみる弱っていきました。
亡くなる一か月前のことです。
その日は病院を訪問する日でしたが
何となく気が重かった私は
「急に都合がつかず、明日まいります」
と嘘をついて行きませんでした。
※(本記事は月刊『致知』2022年2月号
より一部を抜粋・編集したものです)
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!