この修業をやり抜くしかないんだと覚悟を決めた 第 2,878 号

 17歳で天才落語家・立川談志に入門。

両親の反対により新聞配達をしながら、

「上の者が白いと云えば黒いもん

でも白い」世界での落語家前座

修業が始まる。

 三日遅れの弟弟子は半年で廃業。なぜか築地

市場で修業を命じられ、一門の新年会では

兄弟子たちがトランプ博打を開帳し、

談志のお供でハワイに行けばオネーサン

に追いかけられる……。様々なドタ

バタ、試練を乗り越え、談春は

仲間とともに二ツ目昇進を目指す!

 中学時代、誰も目もくれなかった落語全集を

図書室で読んでみたら、これが面白い。

 中学卒業間近、上野領本へ落語を聞きにいった。

立川談志の評判は、決して良くなかったが、

僕は魅せられた。

 高校に入ってから、談志の追っかけを始める。

 談志の危なくて、激しい漫談を数多く聴くうち

になんでこの人は世の中から叩かれないのか、

不思議に思った。

 昭和59年3月、なごり雪の降る日に、

僕は、立川談志の弟子になった。

 談志は言った。「よく、芸は盗むものだと云うが

あれは嘘だ。盗む方にもキャリアが必要なんだ。

最初は、俺が教えた通り覚えればいい。盗め

るようになりゃ一人前だ。時間がかかるんだ」

 「いいか、落語を語るのに必要なのは、

リズムとメロディだ。それが基本だ」

 「怒鳴ってもメロディが崩れないように

話せれば立派なもんだ。そうなるまで

稽古をしろ。俺がしゃべった通りに、

そっくりそのまま覚えてこい。

物真似でかまわん。それが

できる奴をとりあえず、

芸の質が良いと云うんだ」

 現在の自分が振り返って、感じる立川談志の

凄さは、次の一点に尽きる。「相手の進歩に

合わせながら教える」

 青天の霹靂。築地魚河岸修業。

 ある日、突然、談志がいった。「おまえら、

礼儀作法から気働きを含め、何から何まで

ダメだ。文字助が一から仕込むと云って

いるから、魚河岸へ行け。みっちり

働いて修業してこい」

 はじめての築地修業は、シュウマイ屋だった。

ここのおカミさんの凄いのは、事の説明を一切

しない点だ。場内だの、薬屋だの、とにかく

行ってこいの一点張りだ。仕方ないから

他人に尋ねる。そこでコミュニケーシ

ョンができる。コミュニケーション

をとるための礼儀も必要だし、

自然と訓練になる。

 修業とは矛盾に耐えることだ、と

談志に云われたことが蘇った。

 この修業をやり抜くしかないんだと

覚悟を決めた。

 あとから、立川志らくという弟子が入ってきた。

しかし、築地の修業は嫌です、と断ったらしい。

 しくじった時は、とにかく時間を置かずに謝れ

というのがこの世界(落語界)の鉄則で、その

対処の仕方で、執行猶予がつくか、実刑に

なるかが決まる。夜中だろうが関係ない。

 談志の教えは、いつ何処でどんな根多(ネタ)

が自分の人生にシンクロしてくるか、わから

んのだから、ネタだけは、たくさん覚えて

おけ、というものなのだ。

 談志は云った。「唄や踊りが嫌いだという奴に、

伝統芸能をやる資格はないと俺は思っている」

 柳家小さん師匠から稽古をつけてもらった。

驚いたことに、稽古の仕方、進め方が談志

とそっくりだったのである。

 小さんが談志に教えたものを、同じ教え方で

オレは教わってたんだ。

 談春の芸には間違いなく、柳家小さん

の血が流れていたんだ。

立川談春『赤めだか』

の詳細及び書籍購入はこちら ⇑

 今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

スポンサードリンク

♥こちら噂の話題満載情報♥

ぜひ、いいね!を「ぽちっ」とお願いします

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください