これは私的な関係でやるんじゃない.地元の産業を絶やさないためだ 第 315号

 東日本大震災で大きな被害を受けた気仙沼の

老舗酒造メーカー男山本店。

 それにもかかわらず、震災翌日から事業を再開

させたというから驚きです。

 その軌跡に迫ります。

────────[今日の注目の人]───

★ 目に見えない力に助けられて ★

熊谷 光良(熊谷電気社長)

   ×

菅原 昭彦(男山本店社長)

───────────────────

【熊谷】

 でも震災翌日、すぐ仕事を再開されたん

でしょう?

【菅原】

 はい。帰れない人が2人いたので、3人で酒蔵に

寝泊まりすることにしました。

 タンクに仕込んであった約1,500リットルの

もろみは幸い生きていましてね。

 ただ、温度管理をする冷却機が稼働しない。

 だから、全く手は下せないんですよね。

 情けないかな、ただ見守ることしかできません

でした。

 通常だと3月下旬頃に搾る予定だったんですけど、

温度の制御ができないからどんどん発酵が進んで

しまうんですよ。

 16、17日になると、もうあと2、3日で搾らなきゃ

もろみがダメになってしまうって話になりましてね。

 そこから必死になって発電機を探し回っていたら、

ちょうど貸してくれる施設が見つかった。

 ただ、2トンある発電機を運ぶトラックがない。

 それもたまたま運んでくれる人が現れて、酒蔵まで

持ってきたのはいいんですけど、今度は通電

させなければならない。

 これもある方がろくに道具もない中で、

配線してくれました。

 そして、最後は燃料。

 一本のタンクを搾り切るのに2日間かかるんです

けど、2本ありましたので、4日間焚き続ける

だけの軽油が必要だったんです。

【熊谷】

 当時ガソリンや軽油を手に入れるのは至難の

業でしたよね。

【菅原】

 だから一時は諦めようかと思いましたけど、

知り合いのガソリンスタンドの経営者が

メールをくれたんです。

 「軽油を何とか手配するから搾れ。

 これは私的な関係でやるんじゃない。

 気仙沼の産業を絶やさないためだ」と。

 もう涙が出てきましたね。

 ただ、時期が時期だっただけに葛藤も

あったんですよ。

 この軽油があればどれくらいの車が走れるのか、

この発電機があればどれくらいの人が暖を

取れるのかって……

※いまも復興が続く、東北の各被災地。

 厳しい状況に追い込まれながらも、思いを持って

復興に取り組むお二人の話に勇気づけられます。

 『致知』2016年6月号  

         特集「関を越える」P18

   今回も最後までお読みくださり、ありがとう

              ございました。 感謝!

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