みちのくの大地から隻眼で天下を見つめる
十九歳の若者がいた。伊達家当主、政宗で
ある。下克上の世にあって馴れ合う奥羽
大名の慣習を打ち破り攻めに出た政宗
だったが、畠山氏に裏切られ、父・
輝宗を喪う。
悲しみを乗り越え、怒濤の勢いで奥州制覇に
動き出す政宗。一方、上方では豊臣秀吉が
天下統一に向けて奥羽にも手を伸ばそう
としていた。
伊達政宗は底響きのする声でつぶやき、野の
かなたを泰然と見つめつづけていた。ひと
たび、「やる」となれば、その行動は
迅速にして果断だが、堪えねばなら
ぬときは、地べたに這い、泥水を
嘗めても堪え抜くだけの忍耐
強さをこの若者は持っている。
「人は死ねばどこへゆく」政宗は学問の師で
ある虎哉宗乙(こさいそういつ)に尋ねた。
「どこへも行きませぬ。だた無に帰るだけ。
あの世には地獄も極楽もない。
あるのは、無だけです」
上に立つ者にいささかでも逃げの気持ちが
生ずれば、そこから士気の低下がはじまり、
勝負の行方を左右しかねぬことを、乱世
の荒波の中で生まれた二人の若者、
政宗と片倉小十郎は、本能的に知っている。
戦場で多くの経験を積んできた者の言葉には、
道理がある。ひとつの物事をつらぬく意志の
強さも大事だが、危機にさいして機敏に頭
を切り替える柔軟さを持つのも、大将
たる者の条件かもしれない。
虎哉らが所属する妙心寺派では、諸国の大名
に招かれて、その相談相手になる者が多く、
戦国乱世のなかで寺勢を飛躍的に拡大
させていた。
今川家の太原雪斎、織田家の沢彦宗恩など。
戦いは、空模様が変わるごとく、その場の状況
に応じて、静と動を自在に使い分けていかねば
ならない。目的を遂げるために、がむしゃら
に道を突っ走るだけではだめだ。伊達政宗
が学んだのは、物事を進めていく上での、
「政治」の重要性であろう。
戦いは、単調であってはならない。つねに相手
の意表をつき、裏の裏をかくことを
考えねば勝利は手にできぬ。
政宗は座禅を組み、秀吉と戦う心構えを
つくった。「死中に活あり」と政宗は師
の虎哉宗乙から教えを受けている。
生き延びようとして生にすがる者は、心に迷い
が生ずる。死を覚悟してひらきなおってこそ、
明日を切り拓くための道が見えてくる。
「宮仕えとは、辛抱の連続よ。多少、意に
染まぬと思うことがあっても、腹の底で
ぐっとこらえ、上に立つ者に従わねば
ならぬ。それが生きるということだ。
できるかな、お手前に」(前田利家)
火坂 雅志 (著)『臥竜の天・伊達政宗』
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!