「顰蹙は金を出してでも買え」「新しく出ていく者
が無謀をやらなくて一体何が変わるだろうか」。
百人中百人が失敗を予見する中、幻冬舎を創立し、
常識破りの戦術で上場企業に押し上げた著者。
その根底には文学に対する熱い想いがある。作家、
ミュージシャン、演劇家などさまざまなジャン
ルの表現者との濃密な交流は、まさに終わ
りなきデスマッチ。痛みのないところ
に前進はない。精神の格闘家、激闘の記録。
僕はつねづね、売れるコンテンツは4つの要素
を備えている、その必要条件を満たすもの
は必ずヒットすると思っている。
1.オリジナリティがあること。
2.明解であること。
3.極端であること。
4.癒着があること。
石原慎太郎さんの小説はいまでも
僕の中で燦然と輝いている。
短編はほとんど暗唱できるくらいに読み込んで
いる。『太陽の季節』も『処刑の部屋』も
『完全な遊戯』もすべて若いころの僕
にとっては生きる糧となった。
慎太郎さんの逗子の自宅は圧倒的にカッコいい
家だった。25歳の僕は、毎月その家に原稿
をもらいに行くのが楽しみだった。
幻冬舎設立後、すぐに慎太郎さんから電話が
入った。「今近くにいる。これから寄る
ぞ」10分後に慎太郎さんが現れた。
当時は、四谷の雑居ビルの中で5,6人しか
社員がいない小さな会社だったが、社員を
前に、慎太郎さんは「未熟な社長だが、
見城をよろしく頼む」と言ってくれた。
そして僕の方へ向き直り、「もし俺にまだ役に
立てることがあるのなら、何でもやるぞ」
と勇気づけてくれた。
僕はその場で、「裕次郎さんを書いてくださ
い」と頼んだ。私小説を一切書いてこなか
った慎太郎さんに、最も血のつながり
の濃い弟を書いてもらうことによ
って、読者の知らない、もう
ひとつの石原慎太郎像が
浮びあがるのではない
かと思っていたからだ。
しかし石原さんは嫌な顔ひとつせず、「俺も
ずっと裕次郎のことは気になっていた。い
つか書こうと思ってメモ書きしてある。
お前が言うんだったら、書くよ」
と言って社を後にした。
春が生の芽生えだとすれば、夏は、生の絶頂
だ。その生の絶頂に裕次郎さんは死んだ。
推敲に推敲を重ねてきた『弟』を、僕はどう
しても裕次郎さんの命日に出版したかった。
『弟』は裕次郎さんの10回忌の日に発売され、
あっという間にミリオンセラーとなった。
その夏を越え、幻冬舎は大きな波に乗っていく。
見城徹『編集者という病い』
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!