「政治記者が政治家の家に押しかけるとき、
普通は応接間で待つものだが、時にその家
の主人と親しいと自負する記者は茶の間
の方へもぐり込む。これを『お茶の間
組』と称して得意になっている記者
もいるが、ある夜、その『お茶の
間組』の記者の前に、平然と
佐藤栄作の寝室から現れ
出た記者がいた。後藤基夫である。
以来、『寝室組』という言葉が生まれた」
後藤の「比類なき情報網」。「ありゃ、
遊び人だよ」と言う人がいた。麻雀、
オイチョカブ、ポーカーにルー
レット、そして競馬と賭け
事は何でもござれ。
お酒が大好きで美食家。「それに、女性にも
もてたからなあ」と、その人は後藤のことを
心底懐かしがるのだった。「ほんとにゴッ
ちゃんは、いつどこで取材してたのかねえ」
言葉がごく短いのは後藤の特徴だった。
記者クラブで麻雀に興じている。そこ
へ電話がかかってくる。「うん」
「ああ」「そんなことか」
それで用が足りるらしい。
さらに後藤は、要人の集う会員制サロンにも
出入り自由であった。大情報通で知られる女
主人に「ゴッちゃん、ゴッちゃん」と、ひ
いきにされることたいへんなものがあったという。
その交友範囲は、政治家、財界人、官僚ばかり
ではなく、学者、文芸家、芸能人、さらに「皇
族からヤクザまで、きわめて広く、しかも、
そのほとんどの人々と深い信頼で結ばれ
ていた」と感嘆するのは後輩記者。
「どうして、そんなにいろいろ仲がいいん
ですか」とある日聞いた記者がいた。「長
いんだよ、長いだけだよ」とだけ後藤は
答えた。別の日また聞かれた後藤は珍
しく言葉を継いで、「誰に食い込む
か、・・・大変なんだよ。必死に
考えるんだよ」と言った。
後藤基夫が必死に「情報」を手に入れようと
したのは「好奇心」からではなかったか、と
後輩の石川はいう。それは駆け出しの頃か
ら一貫した後藤の行動原理であって、「ただ
知りたいから、知っておきたいから知る」という
ことであったろうというのである。
後藤は敵対する政治家の双方と仲がよかった
という話が驚異として伝わるが、これは後藤
がいわゆる派閥記者と違って、自分の知っ
た情報を別の情報と交換取引しなかっ
たからである。
酒が好きで、後藤は連日午前さまであった。
いつも連れには払わせない。その金離れの
よさに、ゴッちゃんにはきっとすごい遺
産があったのだという人がいた。息子
の伸一によると、没後税吏が「隠し
財産があるだろう」と幾度も来て、
「母が閉口していました」とい
う。60万円の普通預金通帳が
残っていたきりだったそうである。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!