どんなに辛くても人は生きていかなければなりません 第 265 号

 江戸無血開城を成功へと導いた

幕末の偉人・勝海舟。

「渾身これ慈悲の人」と称された

その実像とは──

────────[今日の注目の人]───

★ 渾身これ慈悲の人 ★

石川 真理子(作家)

───────────────────

 その晩年に薫陶を受けた

徳富蘇峰(とくとみそほう)は、海舟を評して

こう書き記しています。

「予(よ)の眼に映ずる先生は、実に渾身これ

慈悲であった」

 これは大変鋭い見方で、確かに海舟の

根本には深い慈しみがありました。

 なぜなら、海舟には人間のみならず鳥や

虫のような小さな生き物をも殺すことの

できない優しさがあったのです。

(略)

 思うに人は繊細であればあるほど

他人の痛みが分かってしまうことから、

生きていくのが辛くなります。

 しかし、どんなに辛くても、

人は生きていかなければなりません。

 海舟はそういう自分を知っていたのでしょう。

 だからこそ「弱い自分を叩き直さなければ」

との強い思いを持っていたのです。

 13歳から20歳すぎまでの間、海舟は屈指の

剣客として知られた島田虎之助のもと、道場に

寄宿して剣術修行に励みました。

 それも掃除や炊事など日常の雑務をこなし

ながらです。

 それに寒中には、師の指示に従い、日中の

稽古が終わると夜稽古までしていました。

 しかも、木剣による稽古は明け方まで続けられ、

道場に戻るとすぐに朝稽古を始めたというのです。

 これだけの苛烈な稽古を毎日続けたのですから、

同門生は誰もついていくことができなかったのも

頷けます。

 これはあくまで私の個人的な考えですが、優しさ

というのはそこに強さが加わらなければ、本当の

優しさにはなっていかないと思うのです。

 そのためには自らを追い込んで、追い込んで

強くなろうとしなければいけません。

 海舟は剣術の修行を通じて、それを実践したのです。

 だからこそ、徳富蘇峰をして海舟を

「渾身これ慈悲の人」と言わしめたのです。

また……

※勝海舟はこう断言しています。

「人物になるとならないのとは、ひっきょう自己の

修養いかんにあるのだ」

 勝海舟の魅力せまる記事の続きは、

本誌をご覧ください。

『致知』2016年6月号  特集「関を越える」P30

  今回も最後までお読みくださり、ありがとう

              ございました。 感謝!

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