もう煮て食うなり焼いて食うなり.好きにしてください = 2-2 = 第 809 号

 1987年3月に東京大学法学部を卒業した

私は、翌4月に大王製紙に入社した。

 実は、入社1年目は本社人事部付という立場で、

東京の簿記専門学校に通っていた。

 東大時代に父・高雄から簿記の基礎的な参考

書を渡されて読み、日商簿記3級程度

の知識は頭に入っていた。

 のちに私が責任者を務めることになった家庭紙

事業部門は、長年赤字続きだった。

 赤字部門だったため、役員会では

いつも父から叱責された。

 数字が悪いのだから何の言い訳のしようもない。

 父の機嫌は常に悪く、役員会での居心地

はこの上なく悪かった。

 大学生時代、父と親しい人々はある茶道の

お家元を囲む茶会に参加していた。

 若輩の私もそこに混ぜていただき、

個人的にお茶を習っていた。

 茶会が終わると皆で料亭に食事に出かけ、

そのまま高級クラブへ飲みに流れる。

 ワコールの二代目社長、中山製鋼所の三代目

社長、作家の小池一夫先生、東映の副社長

など、そうそうたる大先輩にかわい

がっていただいた。

 父は仕事を第一に優先する人間のため、ベロ

ベロになるまで飲んだくれることはない。

 夜11時に引き揚げるとなると、まだまだ

飲み足りない他のメンバーたちから

ブーイングが出てしまう。

 「今つかまって、ちっとも帰してくれん。お前、

今からこっちに来てくれないか」父から、大学

生時代、そんなふうに呼び出しを食らう

ことがしょっちゅうあった。

 高級クラブに出向くと、父はまわりの

人たちと物騒な会話をしている。

 「井川さん、よろしいんですね、

かわりに人質をもらって」

「ああ。もう煮て食うなり焼いて食うなり、

好きにしてください」

 逮捕後、検事は取り調べで、拍子抜けしな

がら、こう言ったものだ。

 「井川さん、もっと気の利いたお金の使い道

はなかったんですか」

 「気の利いた使い道というと・・・」

 「悪い政治家や役人に裏金を渡すとかですよ。

 せっかく、特捜がここまで動いたのに、井川さんの

巨額の借り入れの使い道は、99%がギャンブル

で、残りの1%は飲み食いですから」

 また、奇妙な同情をされたこともあった。

 「井川さん、あなたは経営者としては本当に

よく仕事をしていたようですね。

 大王製紙の関係者に話を聞いても、仕事

に関して井川さんにまつわる悪口は

ほとんど飛び出してこない。

 あなたはカジノにのめりこみさえしなければ、

逮捕されることはなかったのに・・・」

 自分が犯したあまりに愚かな罪から、誰かに

何かを伝えるほどのものは何もない。

 本書を手にとってくださった方には、

一人の愚かな男の転落記として

読んでいただければ充分だ。

井川意高

 『熔ける:大王製紙前会長・井川意高の懺悔録』

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 今回も最後までお読みくださり、ありがとう

               ございました。感謝!

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