著者はモスクワ在住20年以上。ソ連崩壊
以前から、この国の「地獄」と「復活」
を目の当たりにし、一般ロシア人
からロシアン・エリートまで、
そのメンタリティーと行動
パターンを知りつくしている。
「卒業生の半分は外交官、残りはKGB
を養成する超エリート機関」とよばれた、
ロシア外務省付属モスクワ国際関係大
学を卒業した初めての日本人である。
プーチン大統領は、名門レニングラード
大学の法学部に合格。
柔道に打ち込み、まじめな学生だった。
その後、KGBのレニングラード
支部事務局に勤務。
対諜報活動局を経て、対外
諜報部に配属される。
そして1985年、33歳のとき、ソ連の
実質支配下にあった東ドイツのドレ
スデンに派遣された。
現地で政治関係の諜報活動を行うため。
そして、プーチンはここで、「祖国ソ連
の敗北」を目撃することになる。
30代後半から驚異のスピード出世。
1990年、38歳のとき、レニングラード
に戻ったプーチンは、KGBに
辞表を提出した。
1991年、大学の恩師であるサプチャーク
市長(レニングラード)により、プーチ
ンは対外関係委員会議長に任命される。
1年後、副市長に就任。
さらに2年後、第一副市長に
昇進する(42歳)。
サプチャークの市長選挙落選に
より、プーチンは失業。
その後、モスクワから声がかかり、
ロシア大統領府総務局次長
に任命される。
1997年、大統領府副長官、1998年、
第一副長官に昇進(45歳)。
1998年、KGBの後進であるFSB
(ロシア連邦保安庁)長官に任命。
ロシアの全諜報員のトップ
に立ったのだ。
1999年、46歳でロシア連邦の
首相に就任した。
プーチンは、徹頭徹尾「ロシアの国益最
優先」の「超現実外交」を展開していく。
私もプーチンのネガティブ面が沢山
あることを否定しない。
しかし、一点「すごいな」と思う
ことがある。
それは「ロシアの自立を成し
遂げた」こと。
ロシアは「資源超大国」であり、
「核超大国」でもある。
ロシアの課題は、「大都市モスクワ、
ペテルベルクの繁栄を地方に還元し
ていくこと」つまり、地方の
インフラ整備が重要なのだ。
世界を見る際の「基本的な心構え」
について話したい。
それは「あるがまま」に見ること、
「事実のみ」を見ること。
「真実」は、「言葉」ではなく
「行動」に現れる。
若年人口が増え続けるインド経済は、
安定して急成長していく。
「エネルギー」は「平和」
より重要である。
「エネルギー」なしには国家も
個人も生き残れない。
エネルギー源の確保は、金儲けで
あり、安全確保である。
北野流の情報収集術とは。1つは「人」。
いわゆる情報筋。いろんな
人から情報を得ている。
もう一つは、メディア。テレビ、新聞、
雑誌、ネットなど。
インテリジェンスのプロ、佐藤優さんは、
「秘密情報の98%は、公開情報の中に
埋もれている」とおっしゃっている。
あまりに情報量が膨大なため、秘密
情報を見逃してしまう。
そういうときは、「テーマ」を
絞ることが大事だ。
すると、脳が勝手に情報を仕分け
してくれる。
北野幸伯『プーチン、最後の聖戦』
の詳細、amazon購入はこちら↓
今年の配信はこれが最後となります。
次回、2018年にお会いしましょう。
今年も1年「生きる・食」をご愛読
いただき、誠にありがとう
ございました!
みなさまもどうぞよい年越しを、
そしてよい年をお迎え下さい。
来年も引き続き、よろしくお願い
申し上げます。
今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!