本田は「私の履歴書」でこう述べている。「私がやった
仕事で本当に成功したものは、全体のわずか1%に
すぎないということも言っておきたい。
99%は失敗の連続であった。
そしてその実を結んだ1%の成功が現在の私である」
自動車修理工から身を起こし、一代で巨大自動車
メーカーを築き上げ、「HONDA」ブランドを世界
にとどろかせた希有の成功が1%でしかないならば、
残りの99%はなんなのか。
本田の言葉をたどると、失敗した99%にこそ、
たぐい稀な人間ドラマが見つけられる。
本書は本田が56歳のときに連載した「私の履歴書」
と、1962~1991年の足取りをまとめた編著者に
よる「履歴書その後」、さらに「本田宗一郎
語録」の3部構成で描きだしている。
外国から体中に部品を巻き付けて強引に飛行機に
乗り込んだり、四輪自動車への進出を規制する
官僚にたて突いたりといった破天荒な
エピソードに満ちあふれている。
モノづくりへの情熱や創意工夫、物まねを嫌い独創に
賭ける精神、ヒューマニズム、そして天才技術者とし
ての側面など、本田の原点もここに感じ取れる。
また、強烈な成功体験をもつ創業者の世代交代問題
などのテーマも取り上げられている。
スーパーカブやN360などの開発経緯は、ホンダの
マシン愛好家にとって見逃せないところだ。
この本田の壮大な生涯は、不景気に萎縮するビジネス
マインドへの大きな刺激となるだろう。(棚上 勉)
私にとって機械いじり仕事がそのままレジャーなのだ。
まず第一に、私は会社経営の根本は平等にあると思う。
上役、下役の差別扱いもよくないし、エコヒイキ
にも気をつけねばならぬ。
だから私は自宅へ社員は絶対にといっていいくらい
呼ばない。
家庭は一種の城であり、城主は女房である。
一部の社員を上役が自宅へ呼んだりすることは
えてして閥をつくりやすく、会社運営
のガンになりやすい。
学閥、故郷閥、あらゆる閥はよろしくない。
本田宗一郎とナンバー2の藤澤武夫の関係は、
文字通り「クルマの両輪」であった。
かたや、ものづくりに没頭する破天荒な激情家。
かたや、事業の修羅場を経験した商売人。
江戸っ子で多趣味、人間通の藤澤は、視野が広く
バランス感覚に優れ、調整能力に長けていた。
藤澤は、勉強に疲れると銀ブラして事務所に戻り、
チャーチルやドゴールの大戦回顧録を読みふけった。
2人のリーダーが難局にどう立ち向かったか、経営者
として教えられることが多かった。
若いときにはよく遊んだが、それは決して
無駄ではなかったと思っている。
花柳界に出入りしていると、人の気持ちの裏街道も
わかってくるし、いわゆる惚れた、はれたの真ん中
だから、人情の機敏というものも知ることができる。
ジョークのない人生は無味乾燥だ。
人間には休息と気分転換が必要だ。
まず自分のために働け。
人間関係こそ一番大切。
覚えるのはコンピュータでよい。
本田宗一郎『夢を力に』
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今回も最後までお読みくださり、ありがとう
ございました。感謝!