ベトナムにはベトナムの文化・風習がある 第 2,763 号

目の前に助けを求める人が現れた時、
後先を考えず手を差し伸べられる
大人はどれほどいるでしょうか。

網膜硝子体手術の分野で世界でも
屈指の腕を持つ服部匡志医師は、
病に苦しむアジアの貧しい人々の声を聞き、
自ら仕事を捨て海を渡ります。

そして令和4年にその貢献が認められ、アジア
のノーベル賞と称される「マグサイサイ賞」
を受賞されました。そんな服部さんの原点とは。

─────────────────

(服部) 
……ハノイに着いて驚いたのは凄まじいバイクの
数です。至るところでバイクが走り回っていて
騒音が酷く、排気ガスが眼に染みて、喉がすぐに
痛くなりました。

僕が赴任したのは、最初に言ったように
国内最大の眼科専門病院でした。といっても、
手術器機は時代遅れの古い物ばかりで、
政府に申請しても時間がかかるから、
自分で買うしかありませんでした。

(――ああ、高価な器機を自腹で。)

(服部) 
朝7時半に病院に行くと、
既に待合室の廊下は患者さんでいっぱいです。
一日平均で50人くらいを診察し、
終わり次第手術に入るんです。

もっとも社会主義の国だから一所懸命
働いても給料が増えるわけではありません。
毎日2時間のお昼寝もあって、僕がいくら
「2PM! 2PM!(手術開始時刻)」
と叫んでも誰も動かない。

仕事ぶりは真面目でしたが、
定時(16時)になれば手術が
残っていても帰り仕度を始める。
それ以降の手術はさせてもらえず、
平気でキャンセルです。

(――医療に対する姿勢が根本的に
            違ったのですね。)
(服部) 
当初は頻繁に喧嘩しました。ただ、ベトナム
にはベトナムの文化・風習があるわけで、
口で言って変えるのはアウェーでは無理です。
待っている患者さんを一人でも多く
救いたいという気持ちが強かったので、
一人で始めました。

終わる時間が決まっているので、
少しでも早く始めるしかありません。
機械のコンセントを入れて、手術台を
消毒して布をかけ、手術器具を準備し、
患者さんを呼んで麻酔を打って……
執刀医が普通はやらないような準備を全部やる。

(――どうしてそこまでの献身を。)

(服部) 
網膜の手術ができる病院は当時ハノイやホーチ
ミンといった大都市にしかなくて、国立眼科病院
でも網膜硝子体の手術ができる医師は副院長
だけでした。

地方の患者さんの多くは貧しさゆえ、
症状が悪化してようやく手術に来ます。
子供の網膜剥離の場合本人がすぐ言わないで、
物にぶつかり始めて親が気づく。だから
概して日本より手術の難易度が高いんです。
病院に行けば……

★この続きは本誌でお読みください。
出世や安定した生活を送る道を捨て、
異国の地で病に苦しむ貧しい人々を
救い続けている服部匡志さん。
その歩みや信条を伺ったインタビュー
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  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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