ヨーロッパにおける杉原諜報網を短期間に形成した 第1,503号

 第二次世界大戦下、ユダヤ難民に日本のヴィザ

を発給し、六千人の命を救った外交官・杉原

千畝。彼はなぜ、政府の命令に背いて「命

のヴィザ」を出し続けることができた

のか―。そこには、世界情勢を読

み解き、綱渡りの駆け引きに

挑む“情報のプロフェッショナル”

の素顔が隠されていた。

 機密情報に携わる者たちは沈黙を守り抜き、

自らを厳しく律してきた。決して情報源

を明かさない。これこそが彼らの

至高の掟なのである。

 どのように情報を入手したかが露わになれ

ば、相手側に災厄が及んでしまう。時には

人命まで喪われる。それゆえ、情報を

生業とする者は一切を墓場まで抱

えていく。自らの功績を記録に

残そうとせず、人生の軌跡

すら消し去ろうとする。

 インテリジェンスとは、膨大な雑多なイン

フォメーションから選り抜かれ、分析し

抜かれた一滴の情報をいう。それは

国家が熾烈な国際政局を生き抜

くための業なのである。

 インテリジェンス・オフィサーは、ダイヤ

モンドのような情報を見つけ出し、国家の

舵を取る者を誤りなき決断に導くことを

使命とする。彼らは単なるスパイでは

ない。そして、杉原千畝こそ真に

その名に値する情報士官だった。

それゆえに沈黙の掟を守った

まま逝ったのだった。

 杉原はバルトの小国リトアニアの領事代理で

ありながら、欧州全域に独自のインテリジェ

ンス・ネットワークを築き上げ、亡命ポー

ランド政権のユダヤ人の情報将校から、

第一級の機密情報を入手していた。

ユダヤ難民を救った「命のビザ」

はその見返りでもあった。

 類い稀なスギハラ情報網は、彼がリトアニア

の首都カナウスからプラハに去った後、中立

国スウェーデンの首都ストックホルムに

いた小野寺信(陸軍駐在武官)に、

引き継がれた。

 それはヤルタ首脳会談でソ連が対日参戦を

約束した「ヤルタ密約」という最高機密

を入手する礎となった。イギリスの

秘密情報部は、欧州発の機密電を

密かに傍受し解読していた。

 杉原千畝が「命のビザ」と引き換えに、全欧の

情報網から掴みとった一級のインテリジェンス

は、本国統帥部にいれられなかった。スギ

ハラ情報網を引き継いだストックホルム

の駐在武官小野寺信が発した「ヤルタ

密約」の緊急電も、統帥部自ら破り捨てた疑いが濃い。

 ソ連との北満鉄道譲渡交渉こそ、インテリジェン

ス・オフィサー杉原千畝の名声を一躍高めた重大

交渉であった。この鉄道は、基本的に清国・

中国とロシア・ソ連が共同経営し、満州

の地を東西および南北に走る大動脈であった。

 杉原は、ソ連がどれだけの貨車を持ち出した

とか、北満鉄道の内部のあらゆることを自分

の諜報網を使って調べ上げてしまった。

 その情報を元に交渉。最終的にソ連側の

言い値の5分の1で妥結した。

 杉原は、ロシア語、ドイツ語、フランス語など

に堪能であった。抜群の語学力、インテリジェ

ンス・オフィサーとしての高い資質が、ヨー

ロッパにおける杉原諜報網を短期間に

形成することにつながった。

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 今回も最後までお読みくださり、

       ありがとうございました。感謝!

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