新聞社の政治部記者時代に田中角栄と出会い、
以後23年間、敏腕秘書として勇名を馳せた
著者が、政治の舞台からプライベート
まで、天才政治家の生の姿を活き活きと描く。
田中角栄の毎日は凄かった。
たとえば、オヤジは夜9時になると
寝てしまう。パタンキューだ。
それで夜中の12時ごろに起き、2時間ぐらい
の間、役所から届いた資料、数字やら、
読みかけの本やらを読む。
あるいは、大事な手紙の返事を書く。
メモを整理する。
それから、国会便覧に目を通したり、日本地図
を拡げて各選挙区の地勢や状況を頭に入れる。
ちょっと一杯やってから床について、朝6時
にはもう起きだして新聞を読む。
わたしは何度となく、オヤジから言われた。
「メシ時になったら、しっかりメシを食え。
シャバにはいいことは少ない。
いやなことばっかりだ。
それを苦にしてメシが食えないようでは
ダメだ。
腹が減って、目が回って、大事な戦はできん」
あの人はどんなイヤなことがあっても、修羅
場の中でも、メシ時になると大声で叫ぶ。
「メシ!」どんな修羅場でもメシが食える
のは、腹ペコでは何も出来ないという
ことを経験的に知っているから。
くよくよしても仕方のないことは、
くよくよしない。
やらなければならないことは、
万難を排してもやる。
これが田中のオヤジだ。
田中角栄はもともと運命論者だ。
とことん人事は尽くす。勉強はする。
努力はする。努力は惜しまない。
計画も綿密に立てる。
熟慮したら、断行する。
しかし、結果について幻想は
まったく抱かない。
オヤジが小学校卒で、総理大臣になった最大
にして唯一の理由は、「田中角栄は人間を
よく知っている」これに尽きると思う。
まじめに働いても報われない人の辛さ、
悲しみも見てきた。体験もした。
権力と金の恐ろしさも知った。
世間には実にさまざまな人間がいる。
一筋縄ではいかない。
田中は、自分がけわしい山道を抜けて
出てきたから、そこがわかる。
と同時に、どうしたら人に、力のある人に
認めてもらうことができるか、存在に気づ
いてもらうことができるか、そのために
どうすればいいのか、どうすれば仕事
をもらえるか、辛酸をなめる中で体得してきた。
いかにして人の心を頂戴するか。
信用と実績を積むには何をすべきか。
かれはそのへんを詳細に検討した。
経験から学び、率直に反省し、失敗から
成功に至る道程をてさぐりで探し、結論
を整理して、脳裡に焼き付けた。
昭和32年、第一次岸内閣の改造で田中角栄
は郵政大臣になった。
衆院当選5回、39歳の若さだ。
オヤジは大臣になるとすぐ、36局に及ぶ
民間テレビの大量一括免許を断行した。
まわりの政治家たちも驚いたが、
官僚が腰を抜かした。
大臣の多くは面倒な仕事を先送りする。
さわらぬ神にたたりなし。
大過なく任期を終える。
そうした大臣をみなれていた
役人連中は目を見張った。
必要な仕事をテキパキ片付ける。
役人をキチンと立てる。
信賞必罰。
組合ともハダカで付き合う。
学もない田中角栄が、なぜか秀才官僚
を手足のように動かす。
自民党内部でもジャーナリズムでも
首をかしげていた。
しかし、これは連中の無知の反映だ。
オヤジは大臣として郵政省に乗り込むまでの
無名の10年間に、日本政治史上、例を見ない
議員立法の国会活動を展開していた。
大蔵省、建設省などのウルサ型を相手に、
柔道でいえば「引かば押せ、押さば引け」
方式で、役人に言うことを聞かせる
コツを身につけていた。
学卒で世間知らずの秀才青年が
大臣になったわけではない。
だから役人は、オヤジと一日いるだけで
青年大臣の凄さがすぐわかった。
これなら安心してついていける。
仕事に汗を流しても損にならない。
驚くべきことは、39歳で郵政大臣になった
田中角栄が、すでにその若さで官僚たちの
心をとらえる存在であったというところにある。
かれらは、この土建屋のチョビヒゲ大臣の
中に、ただならぬ力を感じ取っていた。
初めに実績ありき。
これが最大だ。
それに実行力と、気が遠くなるほどの気くばり。
北海道から沖縄に至る日本中の知事、役所の
出先機関、農協や漁連の会長、市町村長、県
議会の議長、県連の幹事長、など全国各地
にはすべて大ボス、中ボス、小ボスがいる。
いいとか悪いとかではなく、存在している。
それが現実だ。
それぞれの大小ピラミッドの頂点にボスがいる。
その命令一下、大勢の人が動き出す。
選挙に勝つには、そのヒエラルキーを動かせる
か否かにかかっている。
どこに電話をかけて、どのボタンを
押せば何票出てくるか。
それをオヤジは知り尽くしていた。
我が国の地方権力がどのように形成されて
いるか、キーパーソンは誰か、掌を
指すように熟知している。
しかも大小の付き合いがある。
ツーカーの間柄も多い。
一心不乱の集中力。
田中のオヤジが凄いと思うのは、新聞や雑誌
のインタビューに応じる時の用意周到さだ。
私がまず記者に会って、質問項目をもらう。
そして私が骨組みを書いて、オヤジにみせる。
そこで彼は、私に資料の用意を命じる。
あるテーマがあれば、その戦後のフシ目
フシ目の数字を「全部集めろ」という。
それから、「当時の法律はどうなっていたのか、
それを全部整理せよ」と命じる。
わたしはそれらを全部、用意する。
提出された膨大な資料を手許に置いて、オヤジ
は赤エンピツを片手に線を引きながら、
一心不乱に読んでいく。
1時間、2時間、まったく勉強に集中する。
その集中力たるや、恐ろしいくらいのものだ。
いざインタビューに入ると、田中は
資料をいっさい見ない。
ほとんどの数字や内容が頭に入っている。
もちろん神様ではないから、たまに
間違ったり、度忘れすることもある。
しかし、そばで同じ資料を見ている私が一言、
助ければすぐに思い出し、あとは一瀉千里だ。
呆れるくらい頭によく入っている。
早坂茂三
『田中角栄、頂点をきわめた男の物語』
の詳細,amazon購入はこちら↓
今回も最後までお読みくださり、ありがとう
ございました。感謝!