カリフォルニア産コシヒカリの最大手【タカ
ハシ・ファーム】はロング・ビーチ郊外
に2000エーカー(約250万坪)の耕作
面積を誇る巨大農園だ。
オーナーのエドワード・タカハシは日本軍の
真珠湾攻撃後、ワイオミングのキャンプに
強制収容された経験を持つテキサス
生まれの日系二世である。
西海岸のみならず東部地区にまで配達される
【タカハシ・ファーム】の生鮮野菜は、全米
のスーパー・マーケットを席巻、レタス王
エドワード・タカハシの名前はアメリ
カン・ドリームを実現した日系人と
してメディアにも登場するに到った。
そのタカハシの次なる展開は美味しいコシ
ヒカリの西海岸における生産だった。
4年前の1986年、将来の日本市場の完全自由化
を視野に入れ、日本からコシヒカリの栽培技術
を導入、新移民として若い農民を招聘し、機
械化による作付けと味の安定化に成功した。
その価格は最上級の品質で日本の標準米の
20%以下という日本の農政と生産者に
とって衝撃的なものだった。
従来のロング・グレイン(長粒米)、いわゆる
ぼそぼその食感をという日本人の持つ外米の
イメージからの完全脱却を計ったのだ。
タカハシ運河から引用した豊富な農業用水で、
水稲のショート・グレイン(短粒米)を開発し、
『タカハシ・コシヒカリ』というブランド
米を世に送り出した。
折りからの日本食ブームに乗って日系社会のみ
ならず、アメリカ市場を制覇し、新しい食文化
と流通革命を誕生させたのである。
アメリカの酪農家や農産物生産者にとって、
日本への輸出は無限の可能性を秘めたプラ
チナ市場の開拓を意味する。
【タカハシ・ファーム】の急成長に目をつけた
アメリカの巨大穀物メジャー【コーネル】が
タカハシ買収に動き出した。
コーネル社の打ち出した戦略こそ、日本政府の
最も恐れた農産物の自由化と食料安保の強要を
迫るワシントンの黒船外交の縮図だった。
覇者とは、古今東西、軍事力と経済力、そして
情報力を備えた上、果敢な大航海魂と一瞬の
決断力を駆使し、天下を治めた者をいう。
クラウゼヴィッツの戦争論や孫子の兵法を現代
の国家経営に取り入れよ。
石油や軍需産業に次ぐ食糧産業は、情報産業と
並んで、アメリカの巨大なコングリマリット
に成長していた。
ポール・タフトは、7万人のコーネル社の
頂点に立つ最高責任者である。
弁護士のブラウンと同じイエール大学を卒業した
後、海兵隊に入隊し、ベトナム戦争に従軍した。
除隊後、ワシントンで大手ロビイスト会社に顧問
として招聘される。
その実績と政界との強力な人脈を引っさげて財界入
りしたタフトは、海兵隊上がりの敏腕CEOとして
連日ウォールストリートジャーナルを賑わせた。
コーネル社の海外戦略は彼の強烈なリーダーシップ
の下、盤石な体制を固めつつあった。
その驚異的な躍進が、極東向けの穀物や食肉を
中心とした食料品と肥料だった。
さらに同社は金融サービスや知的財産部門
の海外進出にも力を入れた。
しかし、穀物メジャーとしてのイメージの強い
コーネル社が、莫大な資金力を武器にソフト
部門で世界制覇を目指していることを
知る人は少ない。
タフトの選んだ戦略の巨大ハブこそ、企業
買収の繰り返しによる市場拡大だった。
御醍醐は言った。
「日本の裏社会では、一枚岩の組織を維持
するためには3つの原則がある。
卓越したリーダーシップと潤沢な資金、
そして優秀な参謀だ」
諜報員が職を失ったら、ただの物知り
博士に過ぎない。
サラリーマンも組織を離れれば、転職する
か起業する以外生き残りは難しい。
過酷な海兵隊時代の実戦体験から
学習したものがある。
世界最強と恐れられる米国海兵隊には
誇るべき3つの原則があった。
情報力と、指揮官の資質、そして相手に
与える恐怖感だ。
そのなかでCIAの後塵を仰いでいた
のが組織化された諜報活動だった。
政治面でも軍事面でも、海兵隊にもたら
される高度な情報はすべてCIA
から発信されていた。
タフトとジャクソンの共通の目的は、諜報機関
の持つ情報力と、各国要人との太いパイプ
を企業経営に取り込むことだった。
元KGBの工作員だった彼らの表向きの
職業は、香港を拠点とするコンピュ
ータ会社の技術者だ。
だが水面下では闇組織のスウィーピング(裏処理)
を請け負い、完璧な仕事と処理能力の高さで
実績のある国際的シンジケートだった。
崩壊寸前のソビエト連邦は国家予算の大幅カット
を余儀なくされ、KGBの職員を大量解雇に
踏み切った。
その結果、優秀な工作員の海外流出が相次ぎ、
周辺国の地下組織にヘッドハンティング
されていった。
市場原理というメカニズムの結果だった。
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ございました。感謝!