丁稚奉公の辛さが身に沁みておられた創業者は大変嬉しく思われた 第 547号

 松下幸之助さんが幼い頃、丁稚奉公に出された

話は有名ですが、厳しい奉公を続けた背景

にはお父さんの存在があったといいます。

 幸之助さんの秘書を務めた六笠正弘さんが

そのことをお話しされています。

───────「今日の注目の人」───

☆ 松下幸之助に学んだこと ☆

六笠 正弘(松下幸之助氏元秘書)

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 振り返りますと、創業者の人生は苦難の連続

で、まさに“艱難(かんなん)汝を玉にす”という

言葉どおりの人生を歩まれたような気がします。

 私は創業者のそういう苦難を支えたお父さん

の教えについて、ここで少し話させて

いただきたいと思います。

 創業者が子供の頃、義務教育は尋常

小学校4年生まででした。

 お母さんとしてはせめて4年間は学校に

通わせたいと考えておられたようですが、

既に大阪盲唖学校に勤めておられた

お父さんが「丁稚奉公の口がある

から早く幸之助を寄こせ」

呼び寄せられるんです。

 最初は火鉢店で奉公され、そこが店

じまいすると今度は船場にあった

自転車店で働かれる。

 11歳の頃、お母さんとお姉さんが

大阪に出てこられ、お姉さんは

大阪貯金局に就職される。

 そこではちょうど給仕も募集中で、

それを伝え聞いたお母さんは

創業者に昼間は貯金局で働いて夜は

学校に通ったらどうか、お父さんに

許してもらえるよう私から言ってみるよ、

といったことを話されるんです。

 まだ幼い上に丁稚奉公の辛さが身に沁み

おられた創業者は大変嬉しく思われた

とのことです。

ところが、お父さんは……

松下幸之助さんの人生を決定づけた

お父さんの言葉とはどのようなもの

だったのでしょうか。

  続きは最新号をご覧ください。

 『致知』2017年2月号≪最新号≫

           特集「熱と誠」P20

 今回も最後までお読みくださり、ありがとう

             ございました。感謝!

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