世界が認めた交渉の達人が、水面下の真実を語る!
交渉相手の警戒を解き真意を引き出すテクニック、
決裂必至の国際会議で合意を作る根回し術、当事者
全員に利がある調停の肝は、「戦わない」
交渉哲学から生まれた――。
コソボ軍事紛争調停からCOP10名古屋議定書採択
まで、不可能を可能にした交渉・調停の達人が、
知られざる国際交渉の舞台裏を生々しく伝える。
日本の底力と可能性を浮き彫りにする、
驚きと感動の書。
わたしの仕事は「国際ネゴシエイター」。
ひと言でいえば「国際交渉・国際調停の請負人」
ということになる。
時には国連の紛争調停官として、時には国際会議
の議長として、揉め事のあるところなら世界中
どこへでも出かけて行く。
そして利害を争っているグループや国の間に
立って仲裁をし、個別のステークホルダー
と交渉しながら、最善の解をまとめ
上げることが主な職務だ。
世界の問題解決は、交渉力にかかっている。
「戦争をなくそう」「環境を守ろう」国際会議
で論じられるこうした人類共通の課題に、
表立ってNOを唱える国はない。
しかし、ご想像のとおり、その水面下では
自国の権益をかけた激しい攻防が
繰り広げられる。
シビアな交渉の現場では、広汎な知識と洞察力、
各国の動向を探る取材力、相手のガードを解く
コミュニケーション力、時間内に議事を
まとめるマネジメント力、バランス
感覚、そしてここ一番で大勝負
を張れる決断力と胆力など、
さまざまな能力が要求される。
有用な情報を効率的に入手する質の高い
ネットワークも必須だ。
交渉の極意は「戦わない」こと。
精神的にも身体的にもハードな現場を渡り歩き、
思い出すと今でも眠れなくなるような手痛い
失敗もして、ようやく私が学んだのは、
「交渉においては勝つことを目標にしてはいけない」
ということ。
わたしは国連で、運命の人間と出会うことになる。
後に私のメンターとなるセルジオ・デメロだ。
1948年、ブラジル生まれの彼は、パリの
ソルボンヌ大学で哲学を専攻したあと、国連
難民高等弁務官事務所(UNHCR)に入った。
その後、彼は様々な紛争地を渡り歩き、停戦
協定や和解、復興支援のスペシャリストと
して、常人離れした外交力を発揮した。
まさに人道支援界、紛争調停界のスーパー
マンであった。
セルジオのもとで、私は実地で紛争調停の
イロハを学んだ。
彼のアシスタントとして、事実関係の確認や、
当事者に関する情報収集、交渉場面での記録
などを担当、とにかく彼の行くところは
どこにでも一緒に連れて行かれた。
彼からアドバイスされたことがある。
「『ごめんなさい』『お願いします』と人に
頭を下げることは、どっちもタダだ。
それでその場をしのげたり、得たい情報が
得られたりするのなら、これほどいいことは
ないじゃないか。
だから、無駄なプライドは捨てなさい」
またこう続けた。
「ある分野で世界的な権威である専門家が
いたとしよう。
彼らが30年かけて研究したり、経験したりして
身につけたことは、たぶんお前も同じだけの
時間をかけないと分からないだろう。
しかし頭を下げて『教えてください、お願い
します』と言ってみろ。
そうすれば、彼らが30年間苦労してやっと
わかったことを、30分で教えてくれる。
それもかなり分かりやすく」
たしかに本物の専門家というのは、どんなに
複雑な内容でも、素人にもわかるように、
要点をかみ砕いて説明してくれる。
その分野について30分もみっちりレクチャー
してもらえば、経験や実感としてはわから
なくても、交渉するうえで必要な
知識は一通り頭に入る。
エレベーター・プレゼンテーションの際に
セルジオが言っていたのは、
「俺を真っ白な紙だと思って説明しろ」
ということだった。
つまり、予備知識ゼロの人間だと思って、
そんな人間にもわかるように説明
しろ、ということだ。
「お前の説明の仕方いかんによって、
何百万という人たちの命に関わる
決定が下されることもある。
だから、説明と情報は誰にでもわかる
ように、過不足なく与えろ。
だだし、37秒で」ということだった。
報告すべき情報は、レターサイズの紙1枚 (A4)、
それも表だけにまとめてくるように
セルジオは言いました。
当時、私が携わっていた安全保障分野の案件
では、担当する地域に関する歴史、地理、
政治、経済に関する文献や、当事者に
関するネット記事などの公開情報
から、インタビュー記事など
独自に入手したものまで、
膨大な量の情報が必要とされた。
1つの案件の全体像をつかむために集める情報
は、紙にして数千ページ規模にのぼる。
実際に分厚い資料をどっさとデスクの上に
置かれ、セルジオから「これを全部読んで、
一枚にまとめて」と言われたこともある。
私にとっては、何よりもセルジオの人柄、
振る舞い方、つまりセルジオの人となり
そのものが最高の教材でした。
セルジオが帰ってきたという話を聞きつけて、
ジュネーブ中の国連機関の女性職員がほぼ
全員、彼を見に駆けつけるのだった。
彼は、職員一人ひとりに語りかけていた。
全員の名前を覚えていて、さらにその人に
関する何からしのストーリーも
頭に入っていた。
島田久仁彦
『国際調停の修羅場から:
交渉プロフェッショナル』
の詳細,amazon購入はこちら↓
今回も最後までお読みくださり、ありがとう
ございました。 感謝!