近代における初の遠距離穀物業者は、ギリ
シャ人だった。これは驚くにはあたらない。
彼らは船を持ち、地中海の諸港に中継地
点(コネクション)を持ち、巨大で緊
密な連絡組織を持っていて、商業上
の利点を備えていた。
18世紀の末、ロシア帝国が黒海まで勢力を
伸ばし、オデッサが沿岸の平原で生産され
た小麦の一大輸出港となるや、ギリシャ
商人は、ロシア小麦をロンドンへ送る
手配をした。だが、19世紀後半に入
ると、これらのギリシャ商人たち
は、西ヨーロッパの商人たちに
圧倒されていった。
その多くは、ヨーロッパ経済の大動脈で
あるライン川沿いの出身である。
貿易の新しい支配者の多くが、ライン川に
沿って、スイスやマルセイユへと伸びる西
ヨーロッパの細い帯状の地域に育たのに
は、それなりの理由がある。
ライン川は、ヨーロッパ最大の商業の大動脈
である。北にはアントワープやロッテルダム
という、大西洋へと通じる港があった。
この川沿いに、商人、仲介人、穀物倉庫業者、
製粉業者、海運業者たちが、デュイスブルク、
マンハイム、バーゼルその他の商業
中心地で活躍した。
アメリカ、カリフォルニアには、「穀物王」
アイザック・フリードランダーがいた。
中西部全体が、穀物倉庫業者の中でもっとも
成功した男、ウイリアム・カーギルと、彼の
ライバル、フランク・ピーヴィ(世界の
大穀物倉庫王)の、広大なモノポリ
・ゲーム盤となった。
穀物は、鉄道やオイルと同じくらい
荒っぽいビジネスだった。
20世紀になっても、国際穀物取引業は、依然
として、冒険的商人(マーチャント・アド
ベンチャラー)の天下であった。
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