諜報! 陰謀! 攪乱! 戦後68年目に明かされた
新事実 CIA,KGB,MI-6、モサド…各国の
諜報スパイ組織に決してひけをとら
ないスパイ組織が日本の陸軍中野
学校だ! ただ、その実態、組織
の全貌は戦前戦後を通じて
極秘扱いでほとんど、表
に出てくることはなかった。
戦後29年、フィリピンのルバング島から生還
した小野田寛郎少尉は、陸軍中野学校二俣
分校出身だ。
小野田氏と同期でフィリピン戦線に配属された
A氏は小野田氏の29年間のルバング島生活を
「小野田がルバングで守ったのは丸福金貨
だと思うよ。目的は軍資金の隠匿、それ
以外考えられない」と、小野田氏の
「残置諜者」の使命を推測した。
丸福金貨とは戦争末期、大蔵省や造幣局の記録
にも載っていない前線軍部の物資調達用に密か
に鋳造された金貨であった。
中野学校の教官、秋草俊は遊びというフィールド
ワークを通じて、学生たちの観察力や集中力、
記憶力をテストした。日頃から観察力や
集中力を研ぎ澄ませて置かなければならない。
1940年に入学したある中野学校出身者は授業
内容を次のように回想する。「われわれのころ
は、まだ教科書がプリントでした。授業では、
忠臣蔵47士の討ち入り前夜の潜行状態を
解説したものがあった。それと忍者の
藤田西湖という人の話も聞きました」
中野学校では情報戦士養成の実践教育だけで
なく、「己を捨てる精神、民族や国に尽くす
精神」などの精神修養も重視された。教材
に使われたのは『古事記』や北畠親房『神皇
正統記』、吉田松陰『講孟余話』などであった。
中野学校では、軍事学の中に重要な兵要地誌を
学んでいた。兵要地誌とは「地理、地形、地誌
を調査して作戦に活用する情報収集と分析」
で、研究対象国は英国、米国、ドイツ、
フランス、イタリア、ソ連、中国、モンゴル、
南洋地域と広範囲にわたっていた。
他に気象、交通、航空、心理、統計学なども学び、
精神教育では前出の古典を基本とした国体学が
講義されていた。国語は英語、ロシア語、
中国語の3カ国が任地によって選択コースに
組み込まれた。
「一般の軍事学になりますと、戦史と戦術、これを
非常に重視しました。それから一般学では、あらゆ
るものを教わりました。法制関係、経済関係、宣伝、
情報、陸運、海運の運輸関係など。それと比較的
重視されたのが語学。語学の時間が相当ありま
した。中国語、ロシア語、英語、それから
マレー語の4班に分かれていた」
(中野学校出身者)
『陸軍中野
学校・秘史』
の詳細及び書籍購入はこちら ⇑
今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!