解剖学者にして昆虫収集家、
さらには大ベストセラーとなった
『バカの壁』などの著作を通じ、
切れ味鋭い社会批評でも知られる養老孟司さん。
若き日の体験と原点を交えながら、
活動の土台となるポリシー、
今を生きる若者へのメッセージを
お話しいただきました。
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〈養老〉
かつて一夜にして世の中が
180度変わる体験をしたことがある。
小学2年生の時に迎えた敗戦である。
それまで学校で教わり正しいと信じていた
ことが否定され、使っていた教科書を
墨で塗り潰させられたことは、多感な少年の
心に深い傷を残した。だから私は言葉と
いうものをあまり信じていないし、生きた人間
がいかに信用できないかということを
身に沁みて痛感している。
その点、死んだ人間は前言を翻したり
嘘をついたりすることは決してない。
私が医学を志したのは、
小児科医だった母親を見ていて、
自分に身についたものだけが
財産だと考えたからだが、
私のいた病院は難病を抱えて
命を落とす患者さんがとても多かった。
生きている患者さんを診るのが
不安で仕方がなかった私にとり、
変わることのないご遺体と向き合う時が
唯一心安らぐひと時だったことから、
解剖の道へ進んだのである。
昆虫採集に夢中になり、
約10万点にも及ぶ昆虫標本を備えた別荘を
建てるほどにのめり込んだのも同様である。
一人黙々と虫を採り、標本づくりに
没頭するひと時が無性に心地よかったのである。
こうした自分が落ち着く場を知っておくことは、
自分がどう生きるかを考える上でも重要だろう。
いま若者の死因トップを自殺が占めているのは、
自分の物差しを持たず、他人の物差しに
無理やり合わせて心のバランスを
失ってしまっている人が多いからだと思う。
これは他人に勧めるわけではないが、私は
健康診断を不要と考え、一度も受けたことが
ない。
あれはつまるところ平均値と
自分との差を測るものだからである。
人間の体が他人と異なるのは当然であり、
平均と比べることには何の意味もないと私は
考える。
健康は他人に頼るものではなく、自分で
責任を持つものである。そして、自分の体が
どこでバランスを崩すのかを見極めておける
のは、まだ体力に余裕のある若い時である。
二十代はすべての基礎をつくる時である。
その大切な時に、自分のしっかりした
物差しをつくっておくことはとても大事である。
(※本記事は月刊『致知』2022年8月号
連載「二十代をどう生きるか」
から一部抜粋・編集したものです)
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!