大阪・吹田の地で少年野球指導を続けて50年。
“おばちゃん”の愛称で親しまれる棚原安子
さんは5人の子育ての傍ら、これまで1,200人
の指導に携わってきました。
82歳を迎えた現在も
自らグラウンドに立ち続けています。
「社会で生きていく力を身につける」──
運鈍根をベースとした教育を貫いてきた
棚原さんの壮絶な原点をお話しいただきました。
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(――棚原さんは
どのような幼少期を過ごされたのですか?)
(棚原)
私は、二男二女の末っ子として生まれ、
終戦後の何もない時代に育ちました。
生まれた頃は病弱で、
2歳まで生きられるかどうか、
と言われていたそうです。
さらに父が道楽者で、
長兄の収入で暮らしていましたから
とにかく貧しかった。
食べるものも着るものもないような貧乏のどん底
で、ノート一冊、鉛筆一本買ってもらうのも至難
の業でした。長靴を買ってほしいと母に頼んだ時、
母がお店の方に「月賦で買えますか?」
と言った言葉には、いまでも胸が締め付けられ
ます。
そんな中でも中学生でソフトボールに出逢い、
夢中になったことで人生が変わるんですが、
その大好きなソフトボールでも、貧しさが原因
で同級生から壮絶ないじめを経験しました。
先生からもスパルタ指導を受け、
「お前にグローブは要らん」と言われて、
素手でノックを受けたこともありました。
でもやっぱり、耐え抜いた人間が勝ちますね。
辛つらいこと、嫌なことが
すべて教訓となっていまに生きていますから。
また、そのおかげで「人に対して嫌味、
皮肉、ひと言多い人間にならない」
という強い信念が自分の中にできました。
あの時素手で受けたショートバウンドが、自分
の野球技術の基盤になってくれているのです。
(――これまで数々の子供たちを見てこられた中
で、どういう子供たちが伸びるとお感じですか?)
(棚原)
能力の如何にかかわらず……
★1200人の子供たちに向き合う中から
掴んだ教育の要諦を語っていただきます。
この続きは最新号「運鈍根」にてご覧ください。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!