20歳の時に、運動能力が低下する
難病の筋ジストロフィーと診断された
小澤綾子さん。
苦悩の日々を乗り越え、難病と闘いながら
会社員、歌手、講演活動など多方面で活躍し、
多くの人に希望を与えている小澤さんに、
いまを前向きに生きるヒントを伺いました。
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(小澤)
実は私は高校の時にバンドを組んでいたのですが、
その頃を思い出して、好きだった歌を歌い始めた
のも挑戦の一環でした。
ただ、その時は思っていたほどの充実感は得られず、
なんとなく歌っている状況が続いていました。
ちょうどそんな時、同じ病気の人が集うインター
ネット上のコミュニティサイトで出逢ったのが
松尾栄次さんでした。
栄次さんは30年以上病院のベッドで寝たきりの生活
を送っていて、ほとんど体は動かせないのですが、
指1本でパソコンを操作していました。
最初は「寝たきりになって、彼は人生に絶望して
いるんじゃないか」などと、いろいろ想像を
巡らせていました。
でも、栄次さんからのメッセージは「僕には
いっぱい夢があって、時間が足りないから
秘書が欲しい」と、ものすごくアクティブで、
私は次第に病気や寝たきりに対するネガティブ
なイメージを壊されていきました。
(――寝たきりでも、夢を持って毎日を全力で
生きている人がいた。)
(小澤)
栄次さんとのやり取りを通じ、もしかしたら病気
の自分をできないと決めつけ、もっと病気にさせて
いたのは自分自身だったのかもしれない。
人はどんな状況でも夢を持てるのだと、寝たきりと
いう真っ暗な私の未来に希望の光が差し込んだ
思いがしました。
それである時、「自分は作詞・作曲をしているの
だけど、すごく気に入っている歌があるから、
同じ病気である小澤さんに歌ってほしい」という
メッセージをいただきました。
とても嬉しかったのですが、私はいろいろな理由を
つけてすぐに行動できず、何年後かに歌えれば
いいやと、約束した歌を歌えないでいました。
しかし、メッセージをもらった2か月後、
栄次さんは体調が急変して亡くなって
しまったんです……。
(――ああ、2か月後に。)
(小澤)
栄次さんの死を知り、涙が止まらなくなりました。
それは出逢ったばかりなのにという思い、
約束した夢を叶えられなかった申し訳なさ、
自分も遠くない将来にこの現実に直面するのだと
いう悲しさ、いろんな複雑な感情が交じり
合った涙でした。
そして、何よりも教えられたのは、誰しも人生
の時間は限られていて、やりたいことはすぐに
行動しないとあっという間に時間切れになって
しまうということでした。
人生には「いま」しかない。「いま」をどう
生きるかで幸せは決まる。
私はそのことを分かっていたようで
分かっていなかったんです。
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(本記事は月刊誌『致知』2019年7月号「命は
吾より作す」から一部抜粋・編集したものです)
今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!