「十七条憲法」という言葉は知っていても、
そこに書かれた内容や言葉の背景を知る人は
少ないでしょう。『致知』最新号の6月号では、
長年「十七条憲法」について研究してきた
永﨑孝文さんが、現代的意義を交えながら、
そのことを解説されています。
ここではその内容の一部をご紹介します。
日本精神の源流といえる「十七条憲法」
について学ぶのも
意義があるのではないでしょうか。
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■いまなぜ「十七条憲法」なのか
第一次遣隋使が派遣されたのは西暦600年。
その際、隋の皇帝から冠位制も律令もない
政治文化の低さを指摘された当時の執政者たち
は内政の充実に取り組む必要性を痛感します。
特に政を行うための朝堂を造り、朝鮮半島
でも採用されていた冠位制及び律令を整え、
朝廷の儀礼・作法である朝礼を改めることは、
新たな国造りに欠くべからざる施策でした。
その過程で施行された「冠位十二階」と「十七
条憲法」は、実際の政を行う上で強い相関関係
にあり、両者は同一思想を持った執政者、
つまり聖徳太子が中心となって
並行して整えられたと見てよいでしょう。
特に「十七条憲法」は、律令という法体系が
未構築であった我が国初の成文法でした。
その内容は、儒教の徳目を核としつつも
新しい学問である仏教を加味したもので、
当時の最先端の知識を
新しい政治に活かそうとしたものと思われます。
このように、「十七条憲法」は本来、
当時の大国・隋を手本とした
国造りを進める過程で策定されたもので、
実質的には政に携わる群卿百寮
つまり高位高官から諸役人に対して説かれた
服務心得、政治倫理です。
さりながら、十七に及ぶ条文からは、
現代に通じる道徳的訓戒や対人関係の心得、
あるいは人の倫といった
「人間学」の精神を読み取ることもできます。
現代の我が国は、政治経済の混迷、文化社会の
退廃、精神的気風の荒廃の真っ只中にあります。
また、個に目を移しても、自由、個人尊重
ばかりが重視され、我がままを助長する
世相がますます色濃くなっています。
自分を安全な棚に上げておいて、
無責任な〝正義中毒〟で他人を悪しざまに
批判する傾向は、その一端です。
裏を返せば、若者たちを中心に
「いかに生きるか」といった指針を
見失っている人が増えているのです。
このような混迷社会の中で、幕末から明治期、
あるいは東日本大震災の折に海外から
称賛された我が国の高い道徳観・倫理観
を確固たるものにし、後世に引き継いで
いくためにも、日本人のこころであり、
日本思想の源でもある「十七条憲法」に立ち
返り、唱導された十七条のこころに触れて
人生の心構えを再認識することが大切です。
この十七の条文には、日本人の
遺伝子である「和の精神」が溢れており、
ここに「十七条憲法」をいまに学ぶ
現代的意義があると思います。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!