人間がどんなふうに生きていくかを少し先取りして形にする = 2-1 = 第 2,542 号

世界的なファッションデザイナー・
森英恵さんが96歳で逝去されました。

森さんは『致知』2005年12月号にて
本誌でお馴染みの文学博士・鈴木秀子さんと
対談されています。
追悼の意味を込めて、この対談の中から
森さんのデザイナーとしての原点となるお話を
お届けいたします。

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(鈴木) 
ところで、人間は着るものによって変わる
ことってございません?例えば武道などでは 
形を整えることから始まりますし、
女性なら着物を着ると、立ち居振る舞いまで
女性らしくなったりすることも
ありますでしょう。
 
ですから人間は自分で衣服を選んでいるように
思いますが、逆に衣服から無意識に
影響を受けている部分もあると思うのです。
 
(森) 
ありますね。ただ私が手掛けて
きた「洋服」という存在は西洋の暮らしの
伝統の中で育まれてきたものですから、
ライフスタイルの違う日本の暮らしに合う
洋服をつくるということは
最初はなかなか難しかったですね。
 
(鈴木)
そもそも森先生がこの服飾デザイナーの道に
入られるきっかけはどのようなことで
ございましたか?

 
(森)
父は島根で開業医をしていました。なかなか
センスのいい人だったといまは感じています。
母は料理が上手で、子どもたちをかわいがる
人でした。
私は5人きょうだいの下から2番めで、
男が2人で女が3人。当時ですから、
家の中では男が大事にされていました。
一番上の兄が東大の医学部に入ったので
父はとても喜びましてね。
二男も東京の高等学校に入れたいといって、田舎
から東京へ大工を送って家を建てさせたんです。

一方、女は女らしく育てたいということで、
今度は姉が跡見女学校に入れられました。
 
(鈴木)
その頃跡見といえば女子教育では1番でした
ものね。

 
(森)
3人が東京で、私と妹が島根に残りました。
母は行ったり来たりしていましたが、
幼い娘2人に母親不在のような形では
不憫だと思ったのでしょう。
小学校4年生の時、私たち2人も上京しました。
 

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  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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