作家で精神科医でもある加賀乙彦氏が12日、
老衰のため93歳で逝去されました。
加賀氏は精神科医として東京拘置所の
医務技官を務め、多くの死刑囚、無期囚と
向き合ってこられました。
『致知』2021年3月号では、
文学博士の鈴木秀子氏と対談。
加賀氏はこの中で
文学談義に加え、
拘置所内で感じた死刑囚、無期囚との違い、
ご自身の死生観などについても
語り合われています。
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(加賀)
一つ興味深い話をしますとね、
多くの場合、重大な犯罪を起こした人は
死刑囚、無期囚ということになるわけですが、
同じタイプの囚人でも、
入獄して十年経つとその様子は
それぞれで大きく違ってくるんです。
無期囚の人たちはむやみに暴れて
発作を起こしていたような者でも十年経つと、
本当に人が変わったように大人しくなって
しまう。
(鈴木)
無期囚の人たちは大人しくなるのですか。
(加賀)
ええ。死刑囚はどうかというと、
真剣にいろいろなことを考えるし、
人の悪口は言う。
一方で心を開いてくれる人も多い。
亡くなるまでずっと元気なんです。
僕はこの違いは
一体どこにあるのだろうかと考えました。
これはドストエフスキーの言葉ですが、
死刑囚は明日死ぬかもしれないという
恐怖に常に晒されているから、
彼らには非常に濃密な時間が流れている。
ところが無期囚になると
原則として死ぬまで刑務所で
働き続けなくてはいけませんから、
その人生の時間は薄く引き延ばされる。
だからヒステリーも起こらない。
ドストエフスキーは『死の家の記録』で、
ある囚人が一年、二年と
毎日棚に印をつけている場面を描いています。
そのように無期囚にとって
退屈することは何よりも苦しい。
だから退屈しないように、
あらゆる器官が鈍感になる。
(鈴木)
なるほど、死刑囚と無期囚には、
そういう違いがあったのですね。
私が加賀先生の本を読みながら思ったのは、
死刑囚に限らず人間は誰でも
死について考えるということです。
特にいまのような高齢社会になって多くの
人たちが死と直面している現状を考えた時に、
先生のご著書は私たちが死を考える上で
非常に大きな力を与えてくれると思います。
(加賀)
おっしゃる通り死刑囚というのは
特殊なあり方のようですが、
パスカルの言葉を借りれば
「人間は生まれながらの死刑囚」なんです。
つまり、人間はある日、等しく
神に呼び出されて死の宣告を受ける。
だとしたら、死を乗り越えるために
神と対話をしなくてはいけない。このこと
は僕が信仰を持つようになってからの
気づきの一つです。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!