大平の対米基軸は、大磯に隠棲して
いた吉田茂から意識的に継承した
ものでもあった。
外相になってからも大平は吉田を足しげ
く訪ね、帰国報告も欠かさなかった。
大平は、「天衣無縫というか、屈託の
ない吉田さんのユーモアに富んだお話
をうかがうのを楽しみにしていた。
大磯の吉田邸には、内外の要人の往訪
が多く、引退後も吉田さんは依然と
して、隠然たる政治的影響力を
もっていた」と記した。
大平は佐藤批判を口にせず、「人間と
いうものは、閑職にあるときこそ
勉強できるし、人との交際も
密になって、いろいろと
得られるところが多い。
栄光の座にいることは華やかなようだが、
実質的にはあまり得るところが
ない」と周囲に語った。
◊思索と読書。
大平は忙しいときでも、週に一、二回は
本屋に立ち寄り、数冊の新刊書を求めた。
政治経済や法律よりも、歴史、社会、随
筆の書架に足を止めることが多かった。
「新刊書の新鮮な香りと、それを手に
した柔かい触覚は、たまらなく
うれしいものである。
生きる悦びを味わうことができる
瞬間である」という。
大平は次々と本を買い込んだ。
自宅の書庫に収められなくなると、香川
の事務所に大平文庫を作り、そこへ送った。
大平文庫の蔵書は8,000冊ほどに
なり、市民に貸し出された。
大平が愛読したのは、中国古典の『論
語』『孟子』『十八史略』、佐藤一斎
『言志四録』などであった。
愛読書の筆頭は聖書であり、その知識
は専門家を驚かせるほどだった。
大平の書斎は、洋の東西を問わず、哲学、
思想、倫理、歴史などの本で溢れていた。
やがて大平は東洋思想に傾き、吉田茂
や池田勇人も師と仰いでいた安岡
正篤の本をよく読んだ。
大平は幹事長として、どのように
振る舞っただろうか。
幹事長室室長の奥島貞雄は「行動
する哲学者」と評する。
大平のあだ名は「鈍牛」。
「アー、ウー」という独特の
語り口を揶揄されたりもした。
だが、私に言わせれば、仕えた歴代
幹事長のなかで大平ほど「哲学」を
感じさせた政治家はいない。
敬虔なクリスチャンでもあり、熟慮の末
に言葉を選び、およそ失言の類とは無縁。
発言の内側にはじっくり煮込んだ肉料理
のような深い味わいが醸し出されていた。
発言録から「アー、ウー」を削除する
と、見事な名論文になっていた。
「鈍牛」などと聞くといかにもアバウト
な印象を受けるが、大平の実像
はまったく違った。
手帳にびっしりとスケジュールを書き込
むような几帳面な人物だったのである。
事務局が幹事長用に作るポケットサイズ
の日程表の内容まで自分の手帳に書
き写す念の入れようだった。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!