電卓すらない環境で、みどりの窓口「マルス
システム」はこうして作られた。
本書はJRの「みどりの窓口」の情報システム
『マルス』に関する開発プロジェクトを
ストーリー仕立てで追ってみるものだ。
マルス1は、1957年に検討が開始され、日本初
の鉄道用座席予約システムとして誕生した。
それから50年以上たった現在、マルス501
として稼動を続けている。
この50年の間に様々なドラマがあった。
コンピュータという言葉さえ、ほとんど使われる
ことのない時代に、コンピュータを作って
やろうと思った人などなど。
システム開発の現場は、辛いことが多いといわれる。
しかし、どんな困難があろうとも、それに立ち
向かい乗り越えることができること、またその
楽しさや素晴らしさを読者に伝えたい。
マルスとは、電磁式自動予約装置の頭文字を
拾って命名したものだ。
Marsとなり『火星』『古代ローマの
闘いの神』の意味になる。
マルスという命名は、「国鉄近代化の先陣を
うけたまわる軍神(Mars)」である
との決意の表れであり、当時のプロ
ジェクトメンバーの意気込みを感じるものだ。
最初の基礎調査事項は、次のように決定された。
1.座席予約業務の現状調査。
2.入力分析。
3.現場担当者の意見、要望のインタビュー。
4.機械化システム実現のために
利用し得ると思われる電子計算機技術の調査・研究。
日立製作所が国鉄の打診に応じ、マルス開発
の二人三脚を演じることになる。
当時の日立政策所は、コンピュータの製造の
知識・経験も少ない状況であった。
しかし経営陣は、当プロジェクトを通じて、
コンピュータメーカーとしての地位を築き
上げようと、赤字覚悟で国鉄から受注した。
国鉄で築いたノウハウを他の企業に
持ち込めば、莫大な利益が出る。
そのような算段だったと思われる。
しかし莫大な利益の前には、辛く
長い苦難の道が十何年も続いて
いようとは、思いもよらぬことであった。
プログラム作成作業が素人目にわかりにくい点は、
日立に対する費用の支払でもトラブルの種であった。
プログラムのような目に見えないものに支払いを
したことがなかったため、最初は混乱した。
同じ釜のメシを食え。
尾関は、マルス105の開発を、マルス103の
「国鉄VS日立」の構図には絶対にさせまいとの
思いから、国鉄側のメンバーを日立に派遣する
作戦を決行した。
これは国鉄の中では前代未聞の出来事であり、
当時では常識はずれの奇策であった。
尾関は、マルス105のような巨大システム
の信頼性を決定づけるものは、ハードウェア
でも、ソフトウェアでもないと考えていた。
重要な点は、ハードウェア、ソフトウェアを
作り上げる人間同士の信頼関係であり、協力
関係こそが、最もシステムの信頼性に影響する。
名前をつけるとすれば、「ヒューマンウェア」
こそが最も重要なのだと、考えていた。
マルス105開発は、その後の国鉄の様々な
システム開発の手本となった。
そして、その思いは伝説になって、
多くの人に引き継がれていった。
金子則彦
『旅人をつなぐ「マルスシステム」
開発ストーリー』
の詳細,amazon購入はこちら↓
今回も最後までお読みくださり、ありがとう
ございました。感謝!