茶道裏千家前家元の千玄室さんが茶の
湯の心について『致知』12月号で
お話しされています。
茶の道を極められてきた千さんの味わい
あるお話の一部を紹介します。
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千 玄室(茶道裏千家前家元)
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中世末(1577)に来日したキリスト教宣教
師ジョアン・ロドリゲスは、堺で茶の湯に
接し驚いたと、いまもバチカンの図書
室にある『日本教会史』に述べている。
小さな茶の家、それは市中の山居であり、
まるで隠者の家の風を表している。
茶の湯は、あらゆる人を温和にさせ身分の
上下なく、謹んで椀を主と客で楽しむ。
床の飾りに野の花の一輪、そこには自然
とも一体と感じられる雰囲気があった。
祈りに近い環境であると。
多くのバテレンが千利休に茶の湯を
習い、キリストの教えを広げた。
禅宗を背景とする茶の湯がキリスト教と
一体になり、いわば東西文化の交流
の基をつくったのである。
利休の茶はあらゆる宗教のカタルシス(受肉)
の如きで、茶室の小さな入り口は狭き門で
あり、その門をくぐるためには階級も
何もない裸の人間にならなくてはならない。
武家はすべて帯刀を外し、扇子一本
だけの丸腰で茶室に入る。
「和」、即ち平和をつくるのが
この茶室であった。
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イエスの教え「狭き門を求める者は
命の泉に達す」。
この狭き門が茶室の入り口
「にじり口」であろう。
茶の湯は日本の宗教、そして中国の儒教・
道教の教えを精神に取り入れ、たくみ
に日本化した総合文化なのである。
歴史と伝統は一体のように考えられるが、
歴史は時代時代においてあったあらゆる
事象が正しく伝えられるものとして
必要なものであり、伝統は人間
が生活の上に必要とされる
もの、いわゆる生活文化
が時とともに次世代に
受け継がれてできてゆくものである。
『致知』 2017年12月号
連載「巻頭の言葉」P4
今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!