ザ・リッツ・カールトン・ホテル」を日本に
根づかせた伝説のホテルマン・高野 登さん。
内気な性格だったという幼少期から、
ホテルマンへの憧れを抱いて渡米し、
リッツ・カールトンでお客様の感動を超えた
超一流のサービスを提供するホスピタリティ
の第一人者となるまでには、「無我夢中」
の20代があったといいます。
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プラザホテルへの道が開かれたのは全くの偶然です。
囲碁が好きだったので、ニューヨークにある
囲碁クラブによく足を運んでいましたが、遊ぶ場の
ため、会員とは名刺交換など一切していません。
通い始めて2年程経った頃、あるおじさんから、
「君はホテルマンだっけ?
知り合いが日本人を雇いたいと言っているんだ」
と声を掛けられました。それから名刺交換を
しましたが、その時初めてその方が日本航空
米州地区総支配人だと知りました。
加えて、知人というのが長年憧れを抱いていた
プラザホテルの総支配人だったのです。
驚きを隠せぬまま二つ返事で面接に伺いました。
面接では、プラザホテルに初めて行った際に
衝撃を受けたエピソードや、いつか働くことを
夢見て勉強を重ねてきたことを滔々と伝えました。
私が学んできたことはPR部長さえも知らない
マニアックな情報も入っていたようで、大変
驚かれながらも、晴れて1982年、28歳の時に
プラザホテルで働けることになったのでした。
駆け足に私の20代の歩みを追ってきましたが、
何か1つでも「これが自分の売りだ」という
ものを身につけることが、時間に余裕のある
20代には大切だと思います。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!