東京藝術大学を首席で卒業し、ピアニスト
として早くから頭角を現していた舘野泉さん。
フィンランドに単身移住、自身の音楽性を
開花させ世界的な評価を獲得されます。
そんな舘野さんを脳出血が襲ったのは2002年。
片手が動かないという演奏者として
跳ね返しがたいハンディを負います。
その悲しみ、苦難の中で、舘野さんが
辿り着いた心境とは。
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(舘野)
本日の対談のテーマは「悲しみの底に光るもの」
ということですが、僕もまた病気を通して
いろいろな世界が見えてくるようになりました。
例えば、周りの人たちは僕の姿を見てやはり
不自由だなと思われるだろうし、「早く回復
して右手が使えるようになったらいいですね」
とおっしゃる方もいます。
早く治るために鍼をしたらいいとか、
この整骨院がいいとか勧めてくださる方も
少なくありません。
だけど僕自身はこの現状に何の不足、
不満もないんです。
もちろん、昔は一人で自由に行動して、
いろいろなことを楽しむことができた。
倒れてからはそれが制限されちゃって、
一人で出歩くことはほとんどありません。
うちにいる時はピアノを弾いているか本を読んで
いるか、そうでなきゃ寝ているか食事をしている
か、それくらいの生活だけれども、それで十分
満足しています。右手が治る、治らないという
こともほとんど考えることはないですね。
(中略)
(舘野)
僕はこれまで人生の計画を立てたことがないん
です。何かをやっていれば、次にやりたいこと
が出てきましたからね。だから一つのことを
黙々と続けていくことで、自然に新しい道が
開けるのだと思うんです。
※本記事は『致知』2006年8月号
特集「悲しみの底に光るもの」より
対談記事の一部を抜粋・再編集したものです
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!