三洋電機の買収に総額8600億円を投じた
パナソニックが手に入れたかったのは、
車載電池事業と太陽電池事業
だったとされる。
特に車載電池の技術力では三洋電機が
パナソニックを大きく上回っていた。
パナソニックが金融3社から三洋電機の
優先株を買ったとき、パナソニックは
「絶対に辞めさせてはいけない人
材リスト」を作っている。
それ自体は特別なことではなく、
M&Aの初歩だ。
技術やノウハウは人材に宿っており、
買収する側の企業はそれに対して
巨額の対価を払っている。
買収後に、優秀な人材が止めてしまった
のでは、買収そのものが失敗に終わる。
「車載2兆円」を本気で目指すなら、
三洋電機の技術者をリスペクトし、
存分に実力を発揮させなくて
はならなかった。
それなのにパナソニックは結果的
に彼らを排除してしまった。
三洋電機の創業者、井植歳男は
ビジネスの天才であった。
義兄の松下幸之助は体が弱く、内に
こもる性格であったが、歳男は
馬力があって豪快であった。
社員にも取引先にも愛された。
東南アジアなど海外にも
歳男のファンは多い。
「3つの海を股にかける」という意味で
「三洋」と名乗った男ですから、とに
かくスケールが大きかった。
家電量販はドライに見えて、実は
義理人情がものを言うウェット
な業界である。
「お前がそこまで言うんなら、置いて
やる」そういう世界だ。
三洋から京セラに移った
飯野はこう違いを感じた。
「京セラがすごいのは徹底する力です。
普通の会社はどんなにルールを作っても、
どこかで『それくらい、いいじゃない
か』という例外を作ってしまう。
例外を1つ作ると、ルールはあっと
いう間に形骸化していくんですね。
しかも組織の上に行く
ほど、例外が増える。
下に厳しく言っても、上は
なあなあなわけです」
「京セラはその反対。
上に行くほど覚悟がいりますよ。
仕事は増えるし、ルールに対してはより
厳格であることが求められる。
名誉会長が言う『ど真剣』にやら
ないと、下がついてこない」
大西康之『会社が消えた日:三洋
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝