「信用」「情報」「忍耐」「才覚」「倹約」を
モットーに全国を制覇した近江商人の「商い
の原点」と天秤棒精神。
日本を経済大国たらしめた真のルーツがここに!
豊臣秀吉の側近にあって、京を中心とした天下
政治を徹底しうる者、それが蒲生氏郷だ。
蒲生氏郷は、伊達政宗の軍略、武勇に対しても、
一歩も引けをとらないばかりか、軍兵を動かす
駆け引き、軍律の徹底、人心の掌握において
まさに信長、勝家などといった、一級軍人
の下で多くのものを学び取った、天下
の軍を引きうるほどの武人である。
氏郷は、なんといっても織田信長が最も
その才を愛した男であり、現に信長の
娘冬姫を正室に迎えている。
筋目のかがやかしい、文武に
秀でいた大将でもあった。
家臣団の掌握、領内の繁栄策など、
どれを取っても信長譲りの新し
い感覚と、大胆さがあった。
氏郷は近江商人を大切にし、楽市楽座を活用し
ながら、日野商人を伊勢松阪で育て、さらに、
ふたたびその商人たちを会津黒川でも
育て上げようとした。
千利休は、いうまでもなく堺の商人だ。
納屋業を営んでいた。
それはいまの倉庫業である。
堺は大きな貿易港だったから、
しきりに船が入った。
船の積み荷は、そのまますぐ市場にいかない。
岸に揚げられて保管される。
その保管のための倉庫が納屋である。
堺の商人たちは、この倉敷料を
大きな収入源にしていた。
近江商人はこういう。
「わたくしの商いの方法は、天秤棒一本
を肩にかついでの方法だ。
どうしても勤勉、始末、才覚、
信用などが大切になる。
信用を得るためには、なによりも品物を
吟味して、嘘をつかないこと」
「利を得ても、それを自分一人
で得てはいけない。
協力者や支持者にも分かち与えるべきだ」
というのが近江商人たちの生き様だ。
給与と情は、部下管理の両翼だ。
どっちが欠けてもうまくいかない。
氏郷の茶道は、単なる処世法、あるいは
政治的手段だったといえない。
かれは根っからの風雅の人だった。
歌の道にも明るかったし、
歌作にも優れていた。
文章もよく書く。
文人大名だ。
童門冬二『近江商人魂』
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!