劇団四季の俳優として活躍する石波義人さん。
61歳で劇団四季に入団、『美女と野獣』
のキャストとして活躍していた頃、
大きな壁に直面します。
石波さんの真摯さと共に
浅利さんの厳しくも温かい人柄が伝わってくる
エッセイ(致知随想)の一部をお届けします。
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(石波)
オーディションに合格したことを機に劇団
四季に移籍したのは2010年、61歳の時です。
その年から『美女と野獣』のキャストに入り、
既に200ステージ以上に出演していた2013年
のある日、劇団創立者の浅利慶太さんが稽古
を見に来られました。
私のデュエットを聴かれるなり、「歌じゃ
ないな」と一刀両断。
劇団の廊下には大きな文字で「歌は音程と
リズムを正確に」と書かれているのですが、
私は音程やリズムが多少崩れても、役の心情が
表現できればいいと思っていたところがあり、
浅利さんはそこを見逃さなかったわけです。
夜遅くまで個室にこもり、ピアノの音を聞き
ながら音程を合わせて歌う練習に励みました。
翌日の稽古にも浅利さんがいらして、
目の前で歌うとこうおっしゃいました。
「前半はよくなったな。でも、後半は全然
ダメだ。石波君にはお引き取り願って
もらったほうがいいだろう」
最初はその意味が分からなかったのですが、
劇団の方に「石波さん、契約解除ということ
です」と言われ愕然としました。
家族に言えるはずもなく、翌朝、劇団に出かける
振りをして人気のない公園に行き、できなかった
後半部分をただひたすら練習しました。
寒い冬の時期でしたが、次の日もまた
次の日も黙々と練習に明け暮れました。
そして6日目、思いがけない展開が起こります。
劇団の方から「浅利先生が舞台稽古を
再度行うとおっしゃっているので、
札幌に来てください」と電話が入りました。
翌朝一番の飛行機で向かうと、
そこには数十名の俳優が集められており、
すぐ舞台稽古が始まりました。
「石波、よくなったな」浅利さんの
ひと言で私は再びキャストに選ばれ、
そこから40日も出演することになったのです。
「慣れだれ崩れ=去れ」「劇場が貧しくとも
装置が貧しくとも、俳優の魂の高貴さと
高い技術があれば、舞台は光り輝く」
浅利さんは本当に厳しい方でしたが、俳優と
してプロとして、そして一人の人間として
大切なことを学ばせていただきました。
※『致知』2022年2月号 致知随想より
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!