個人的享楽や物質至上主義に傾く⇒歴史は繰り返す古代史に学ぶ 第 499号

 地中海の女王と称されて繁栄をきわめるカルタゴ。

 台頭するローマ。

 象部隊を率いてアルプスを越えた勇将ハンニバルと、

不撓不屈のローマ軍団が血で血を洗う壮大なる叙事詩!!

一冊で読めるポエニ戦争ハンニバル戦記。

 カルタゴ滅亡史は、よく現在の我が国の風潮との

引き合いに出される。

 紀元前8~3世紀、北アフリカを本拠とする経済

大国カルタゴは、「地中海の女王」と呼ばれ

その繁栄を誇っていた。

 滅亡した母国フェニキアのあとを受け継ぎ、地中海

貿易をはじめとする広い商業活動により、古代

世界の富のほとんどを独占していた。

 無限の経済力と莫大な資産を持つこの商業帝国は、

やがて高度文明の末期的退廃をしめし、国家

建設の民族的精神を失ってしまった。

 いたずらに個人主義、利己主義、功利主義、そして

経済至上主義に走るようになった。

 とくに、その富を守るべき安全保障政策を軽視した

結果、3回にわたる「ポエニ戦争」により、

かつては歯牙にもかけなかった新興国

ローマに滅ぼされてしまった。

 カルタゴを滅ぼしたローマは、それを機に地域国家

から世界的大帝国へ発展していくが、その爛熟の

うちに、堅忍不抜、質実剛健な気風を失い

やがてゲルマン民族の大波にのまれて

消滅する。

 まさに歴史は繰り返すのとおりである。

 これは世界有数の経済大国に成長した代償に、日本人

固有の質実剛健な気風を失い、個人的享楽や物質

至上主義に走り、また平和の名のものとに

あえて国防努力を軽視する日本と軌を

一にするところがる。

 その行く末を案じる良識ある人々にとって、またと

ない警鐘と聞こえるのではあるまいか。

 またポエニ戦争は、以後の兵学、兵術に大きな

教訓を残した。

 第二次ポエニ戦争において、イタリア半島で16年間

も勇戦奮闘したカルタゴの名将ハンニバルの活躍を、

結局は水泡に帰さしめたのは、彼の好敵手スキ

ピオ・アフリカヌス(大スキピオ)の

とった「ハンニバルとの正面対決を

避け、その弱み、すなわち策源地であるイスパニア、

カルタゴ本国を衝く」という戦略であった。

 この戦略は、20世紀の生んだ最大の兵学家リデル・

ハートの「間接戦略論(インダイレクト・アプ

ローチ)」となって現代兵学にきわめて

大きな影響をあたえている。

 また「カンネーの決戦」におけるハンニバルの両翼

包囲の名作戦は、クラウッゼヴィッツの殲滅戦

思想を信奉するドイツ陸軍に、その

具現策をあたえた。

 第二次世界大戦の独ソ戦の諸会戦において、ドイツ

機甲軍による両翼包囲の戦略、戦術がソ連軍に

大打撃をあたえたのも、これを研究、

発展させたものだった。

 そこで、私たちにとっていろいろな面で大きな参考

になりうるこの経済大国カルタゴの滅亡史を、3回

にわたるポエニ戦争、勇戦ハンニバルの戦いぶり

を柱にその経緯にふれ、残された教訓を探って

みたい。

 この世界戦争史を彩る前後3回、120年にわたる

大戦争は、私たちに多くの教訓を残した。

 この戦争の山場である第二次ポエニ戦争において

ローマは、カルタゴの名将ハンニバルによって

16年間、その国土イタリアを蹂躙されつくされた。

 その損害は、人的に限っても執政官級の要人

数十人、兵員にいたっては40万人を超える

という甚大なものだった。

 しかし、ローマは屈しなかった。

 彼らは、堅忍不抜、不屈の愛国心のもと、兵役が

市民最高の権利であり義務であるという誇り、

国家のため喜んで命を捧げる犠牲的精神、

斃れてのちやむとの敢闘精神。

 加えて国家の最高指導者である独裁官あるいは

執政官が最高指揮官として常に陣頭に立つと

いう挙国一致の体制で戦い、ついには

この難敵を降し祖国を守り抜いたのである。

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 今回も最後までお読みくださり、ありがとう

              ございました。感謝!

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