「この本にもっと早く出会いたかった」
「『致知』を読んで救われました」
致知出版社には毎日のように、この
ような感動のお手紙が届きます。
本日ご紹介する富川利子さんも、
そういうお一人です。
ご自身の辛い人生体験を交えながら、『致
知』への思いについてお話しいただきます。
──────────────────
富川 利子(社会福祉法人
かずさ萬燈会職員)
──────────────────
私が『致知』と出逢ったのは、職場で
社内木鶏会が始まった平成24年7月
のことでした。
渡邉元貴理事長から、初めて見る『致知』
を手渡された時、目に飛び込んできた
のは「人間学」の文字。
私のように苦労してきた人間には「人間
学」なんて関係ない、というのが最初
の印象でした。
なぜなら、私は長いこと自分は世界一
不幸な人間だとずっと思い続けて
きたからに他なりません。
あれは私がまだ40代の頃のことです。
主人と放送設備関係の事業を営んでいた
ところ、不渡手形の煽りで一晩に
して会社は倒産。
残ったのは約1億2,000万円の借金でした。
そこからすべてを返済し終わるまでに
17年の歳月を費やすことになるの
ですが、その間にも畳みかける
ように不幸が私に襲い掛か
ってきました。
私が50代に差し掛かり、まだ借金の返済
も道半ばだった平成7年に主人が旅立つ
と、5年後の3月には娘が、さらに
その明くる年の11月に息子が
息を引き取ったのです。
ほんの僅かな期間で、家族全員が私の
手からもぎ取られたのでした。
当時投げ掛けられた「あなたは自分の
亭主も子供もみんな殺しちゃった鬼
なのよ」という言葉は、私の胸
の内から消えることは決し
てないでしょう。
それぞれに病気が原因だったとはいえ、
私の生活の仕方が悪かったからだと
言われればそれまでで、それゆえ
に私は世界一不幸な人間なの
だと長いこと思い続けてきたのです。
ただ、そんな中でも私が幸せだったのは、
いまの職場で働くことができたことでした。
主人が亡くなった4年後にご縁をいただき、
子供たちを看取る際にも配慮していただ
いたばかりか、今日まで介護職とし
て働かせていただけたことは
本当にありがたいことです。
ただ、そうした人生体験もあって、『致
知』への拒否反応は数か月に及び、人間
学とはこういうことなのかと思える
ようになるまでに1年はかかった
でしょうか。
ところがいまはどうかと言えば、隅から
隅まで全部、それも1回や2回ではなく
3回読み通します。
『致知』を読んでいて教えられるのは、
すべては行動あるのみということです。
以前、松下幸之助さんの記事の中に、
本当に苦しい時でも自分が動かな
ければ誰も動いてくれない、と
にかく行動を起こして一所
懸命やらなければ周り
は認めてくれないと
いった趣旨の件が
あり、これが私
の心の中に深く留まっています。
かつて借金で苦しんでいた際、どんなに
辛くとも自分から動き続けたことで、
返済の術を見つけられたことが
思い返されるからでしょうか。
会社の周年行事で藤尾社長が講演された
際には、たくさんの勇気をいただきました。
いまでは誌面に藤尾社長のお顔が載って
いると、写真を見ながらニコニコ
している自分がいます。
私にとって『致知』と出逢えたこと、
そしてこうして働ける職場がある
ことが何よりの幸せです。
特に『致知』は私にとって勉強になる
ばかりか、時に私を励ましてくれる
存在でもあります。
時には「うふふ、自分と同じことを
考えている」と、一人ほくそ笑む
こともあります。
だからこそ3回読んでも飽きない
のかもしれません。
本当によい本と巡り合せてもらった
ことに感謝しています。
──────────────────
読者からはいつも喜びの声が
寄せられています
──────────────────
『致知』 2018年3月号【最新号】
連載 「致知と私」P76
今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝