体の自由がだんだんと奪われていく
難病・筋ジストロフィーと闘いながら、
歌手として多くの人々に生きる勇気を
与え続ける小澤綾子さん。
人生の歩みを振り返っていただきながら、
心の支えになった出逢い、活動の原点となった
エピソードを語っていただきました。
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〈小澤〉
……堪え続けた違和感の正体が
ようやく判明したのは、20歳の頃。
手すりなしで階段を上れなくなると、
私は覚悟を決めて、大学病院に行きたいと
両親に伝えました。
再検査で告げられたのは、進行性の難病、
「筋ジストロフィー」という病名でした。
一時は自分の違和感が証明されたことにホッと
しましたが、「具体的な治療法も薬もありません。
筋力はどんどん衰えていき、10年後に車いす、
最終的には寝たきりになるでしょう」と告げら
れると、私の心は凍ったように冷たくなりました。
将来への不安、思い描いていた夢を
諦めなければいけない現実に、
もはや自分は何のために生きているのか
分からなくなってしまったのです。
それから3年間ほどは何も手につかず、
ぼーっとした日々を送りました。
転機になったのは、リハビリの先生との出逢い
でした。
当初は「どうせ病気を治せないのに」などと
斜に構えていた私でしたが、病院に行く度に、
同じ病を抱えながらも世間で活躍する方の話や、
ご自身の体験談を聞かせてくれ、
私をなんとか励まそうとしてくださる姿に、
少しずつ信頼が芽生えたのです。
とりわけ先生の言葉の中で私の心を
大きく変えてくれたのは、次のようなひと言でした。
「そんなに下を向いてばかり、暗く生きていたら、
あんたの周りには誰もいなくなってしまうよ。
一人寂しく死ぬのかい?」
その言葉にハッとされられた私は、
「なんとか先生を見返したい。車いすになる前
にやりたいことを全部やってやろう!」
と決意。海外旅行を皮切りに、
語学留学やダイビングのライセンス取得など
やりたいと思っていたことに挑戦し始めました。
挑戦の度に先生に報告に行きましたが、
「もっと本物に出逢いなさい」
「もっと将来を見据えて深く行動しなさい」と、
なかなか褒めてくれません。
それでも挑戦を続ける中で、
いつしか心は前向きになっていきました。
バンドを組んでいた高校時代を思い出し、
再び歌を歌い始めたのも挑戦の一環でした。
しかし思ったほどの充実感は得られず、何となく
歌っている状況から抜け出すことができません。
ちょうどそんな時でした。同じ病気の
人が集うウェブ上のコミュニティサイトで、
松尾栄次さんと出逢ったのは。
栄次さんは私より病気が進行しており、
30年も病院で寝たきりにもかかわらず、
「僕には夢がいっぱいあって時間が足りないんだ」
といつも明るいメールをくれるのです。
ほどなくして、そんな栄次さんから
「僕が作った歌を歌って、
同じ病気の人を元気にしてほしい」
とメッセージが届きました。
しかしメッセージをもらって2か月後、
栄次さんは帰らぬ人となりました。
栄次さんが亡くなってしまったことが悲しく、
同じ病気の自分もいつかそうなるという
恐怖で暗く沈んでいましたが、
「いつまでもくよくよしていてどうする。
栄次さんが託してくれた夢を叶えられるのは
自分自身だ」と言い聞かせて、自分のことを
語りつつ、栄次さんが作曲した『嬉し涙が
止まらない』を歌うようになりました。
(※本記事は月刊『致知』2019年7月号
特集「命は吾より作す(めいはわれよりなす)」
より一部を抜粋・編集したものです)
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!