”怪物”とは、一口にいうと、平凡人の頭では
簡単に因数分解できそうもないようなメンタ
リティをもった人物のことである。したが
って、善人とか悪人とかいう道徳的な
基準によったものではない」(p.297)。
戦後の日本で、なにか異常なことが起こる
ごとに、マスコミの矢面に立つことは少な
いが、その陰でいわゆるクチコミの世界
で、いつもヒソヒソとささやかれるの
が、児玉誉士夫である。
児玉とひざを交えて、一晩ゆっくり語り合う
ことによって私が得た結論は、彼は危機
の求道者だということだ。
おそらく日本人のなかでその生涯において、
彼くらい大量の危機をむさぼり、潜り抜け
てきた者は少ないだろう。
いわば「危機中毒者」である。
彼は初めての刑務所生活を過ごしたとき、
老看守にかわいがられ、「空きっ腹に食
べ物をむさぼるかのごとく」、宗教
や哲学の書物を耽読した。
児玉は、昭和14年、参謀本部の指示で、
中国の汪兆銘のボディーガード
の役割を果たした。
その後、彼は支那派遣軍や外務省の嘱託
を兼ねて、特殊工作や諜報関係の任務も
負わされた。比較的円満に仕事を進めた。
彼のほうでも独得の要領の良さで打つ
べきところには手を打ち、仁義を尽
くしたことはいうまでもない。
海軍の資材調達をやるようになった。銅、
ニッケル、コバルト、ピアノ線、ラジウ
ムなど戦略物資をどしどし買い込んだ。
児玉機関の活動範囲は、日本軍の占領地帯
から敵地区に広がった。憲兵はスパイを殺
したが、児玉機関ではみんな逃がした。
そのかわり、先方でも機関員の証明書を
示せば、決して殺さなかった。中国人
社会ではこういうことが可能だった。
児玉機関のメンバーで戦後に戦犯の罪に問わ
れたものは一人もいなかった。容疑者として
捕まった40名あまりいたが、児玉機関にひ
どい目にあったというものは一人もなく、
全員無罪になった。陰で独特の工作や
取引があったかもしれないが、奇跡である。
三木武吉の新党作りには、児玉が
重要な役割を果たしている。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!