かつて「異端の三樹彦」と呼ばれながら
も、一途に自分の信じる道を歩み続けた
俳人・伊丹三樹彦さん。
97歳のいまもお元気な伊丹さんが語る
80年以上にわたる俳人人生とは──
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伊丹 三樹彦(俳人)
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──伊丹さんは俳句一筋の人生を歩んでこら
れ、今年で97歳になられたそうですね。
13歳からだから、もう80年以上俳句を
やってきました。
役者馬鹿っていう言葉があるけど、私の
場合は「俳人馬鹿」(笑)。
俳句以外は何にも知らない。
いまは一人暮らしで、ヘルパーさんが
毎日来て日常のことをやってくれて
いるんだけど、怒られてばっかりや。
この前も部屋のスリッパでベランダに
出たら、裏が汚れちゃってね。
洗濯物を増やさないでくれと怒られた(笑)。
──少し前に入院されたと伺っていますが、
もう大丈夫ですか?そうそう、肺炎でね。
医者からは最低でも三週間は臥せてもらう
と言われましたけど、二週間で退院できた。
「あんたは底力があるね」って医者に驚か
れたけど、私は病気を7、8回はしてますよ。
一番は脳梗塞、それから黄疸、赤痢、
ヘルペス、それに鬱病まで。
──それらの病気をすべて乗り越えて
こられたわけですね。
ええ。八病不屈でしぶとく生きて
いますねん(笑)。
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・『致知』のバックナッバー勢揃い
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──どういったきっかけで俳句を始められ
たのでしょうか。
きっかけは車内俳句やね。
──車内俳句、ですか。
そう。私は小学校卒業後は、神戸一中
(旧制)に行きたかったんだけど親
が許してくれなくてね。
「おまえは実用人間になれ」という
言葉に従って、兵庫県立工業学校
(現・県立兵庫工業高校)の
建築科に入ったんですよ。
家から学校までは三木駅から播州鉄道で
加古川駅に出て、そこから山陽本線に
乗り換えて兵庫駅まで行く。
当時はまだ電車はないから、
蒸気機関車でした。
汽車ぽっぽに乗って、加古川、明石、
舞子、須磨と、窓から見える景色は
どこもええとこばっかりでね。
明石海峡には帆掛け船が浮かんで
いた時代ですよ。
もう自然と詠いたくなるやん(笑)。
『致知』 2017年12月号
連載「生涯現役」P96
今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!