戦後の日本では特別攻撃隊に対して、「国家
による洗脳と強制による無駄死だった」と
いった否定的な論調が主流であった。
だが海外ではこの特攻に驚愕し、日本だけが
なし得た「奇跡」だと評価する声も多いの
である。特攻の精神を賞賛する外国人
の論評とともに、彼らの犠牲が
世界を大きく変えたことを
検証し、日本国内で歪め
られてきた特攻隊の実像に迫る。
単なる戦争回顧ではなく、日本人が特攻に
至った文化史、精神史にも迫る!
「私は台湾とフィリピンでの神風の偉業を
読んだ時ほど、心を動かされたことはかっ
てなかった。その時、私は神風の精神
が滅びない限り、東アジアも決して
滅びない、と自らに語った」
(ビルマ独立運動家・初代首相バー・モウ)
私は戦争や特攻をいたずらに
賛美したいわけではない。
避けられるならば、戦争は避けた
ほうがいいに決まっている。
だが、戦わざるをえない運命、そして負ける
ことがわかっていても、命を賭して立ち
向かわなくてはならない状況と
いうものもあるはずだ。
戦前の台湾で生まれ育った私にとって、
「特攻」も「神風」も幼いころから
耳慣れた言葉であった。
この言葉を耳にするたびに想像したのは
「勇気」と「責任」、そして「愛」、
国へ、家族への愛である。
もっとも戦術としての特攻については、「特攻
の父」といわれる大西瀧治郎中将でさえ、「統
率の外道」と語っており、実際に行われた
のは大東亜戦争末期、おもに1944年
10月のレイテ沖海戦と翌45年
3~6月にかけての沖縄戦である。
しかし、わずか1年間にも満たない特攻は、
西洋人を驚嘆させ、日本人のイメージを
大きく変えた。特攻を受けた米兵も、
またそれ以外の西洋人も、これ
を行った特攻隊員に敬意の
念を抱き、日本人にしか
できないものだと論じた。
死をもって国に殉じるという特攻隊員の精神
は、それまで数百年にわたり西欧列強の植民
地として屈従していたアジア各国の民族
意識を高め、終戦後にアジア各国が
独立する道を切り拓いたといっ
ても過言ではない。
特攻とは何だったかのか、なぜ日本人
は特攻という道を選んだのか。
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選んだのか』
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!