特攻とは何だったのか、なぜ日本人は
特攻という道を選んだのか。
英国の元陸軍大佐で戦史研究家のA・J・
バーカーは、著書『神風特攻隊』に
おいて、次のように述べている。
「連合軍では、このような攻撃を非人道的、
狂信的としながらも、神風特別攻撃隊員
たちにたいしては、尊敬をはらって
いるのである。それはおそらく、
彼らが特別攻撃で手痛い打撃
を受けたためであろう」
ビルマ(ミャンマー)の初代首相バー・モウも、
「特攻隊は世界の戦史に見られない愛国心の
発露であった。今後数千年の長期にわた
って語り継がれるに違いない」と
語っている。
モウは、1944年11月末に台北にある特攻隊
訓練基地を訪れ、隊員たちに作戦の成功と
別れを告げている。ビルマに帰国後、
特攻隊のことを人々に語ると、誰
もが畏敬の念を抱いたという。
もちろん、こうした自らの命をなげうっての
攻撃は、西洋人には理解不能であった。だが、
その西洋人の常識を根底からひっくりかえ
したのが、フランス人ジャーナリストの
ベルナール・ミローだった。
彼は、こうした西洋人の理解に対して、次の
ように述べている。「ほんのひとにぎりの
狂燥的人間なら、世界のどの国だって
かならず存在する。彼ら日本の特攻
隊員たちはまったくその反対で、
冷静で、正常な意識をもち、
意欲的で、かつ明晰な
人柄の人間だったのである」
「これらの調査(戦後の特攻隊に関する調査報告)
のほとんど全部が一致して報告していることは、
特攻に散った若者の圧倒的な大多数のものが、
各自の家庭にあっては最も良き息子で
あったということの発見である。
きわめて稀な少数の例外を除いて、彼らのほと
んどは最も愛情深く、高い教育を受け、すれ
てもひねくれてもいず、生活態度の清潔な
青年たちであった。そして両親に最も
満足を与えていた存在だったのである」
(ベルナール・ミロー)
戦後、フランス第五共和国の情報相、文化相を
務め、『人間の条件』『空想美術館』などの
著書で文壇の巨人として活躍したアンドレ
・マルローも、特攻について次の
ように語っている。
「日本は太平洋戦争に敗れはしたが、そのかわり
何ものにもかえ難いものを得た。それは、世界
のどんな国も真似のできない特別攻撃隊で
ある。日本の特攻隊員たちはファナ
チックだったろうか。断じて違う。
彼らには権勢欲とか名誉欲など
はかけらもなかった。
祖国を憂える貴い熱情があるだけだった」
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選んだのか』
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