冷静沈着.用意周到でなければ 荒っぽい仕事は成就しえない 第1,396号

 議員生活31年、秘蔵手帳を初公開! なぜ、小泉は

首相になれたのか? なぜ、加藤は時局を見誤っ

たのか? 政界の中枢にいた男が綴る迫真

のドキュメント!!

 私は議員になってからずっと、衆議院手帖に首相

をはじめ閣僚らと交わした会話、相手の様子

などを細かく要領筆記してきた。

 秘密会合の場所から、会話や態度に感じられる

思惑まで、自分でも驚くほど細かく記してきた。

 これらのほぼ正確な事実は、同時に近現代

政治史における生の資料になると考え、

ここに「秘録」として公開することにした。

 YKK誕生。1990年、大晦日の夜、加藤紘一

より電話があった。「われわれも当選回数

を重ねて一応大臣にもなった。党のこ

と、国家のことを腹蔵なく話し合

える政界の同志作りをしたい」

 というので、「どういう顔ぶれにするかな」

と私が聞いたら、「中曽根派の拓さんと

宏池会の僕のほかに、清和会から一人

選んで、三派で反経世会グループ

を作ろう」という提案だった。

 1991年1月25日、衆議院本会議場で、机を

並べている加藤から、「例の話だが、清

和会は、当選同期でわれわれと同年

輩は、小泉純一郎しかいないぞ」

と言われたので、「小泉は

エキセントリックな男

だから、話が合わ

ないよ」と私は答えた。

 加藤は、「じゃあ本人に聞いてくる」と言って、

少し離れた小泉の元に行った。すぐに戻って

きて、「本人に『君はエキセントリック

だと拓さんが言っているが本当か』

と聞いたら、小泉は、『そうだ

よ、俺はエキセントリックだよ』と言った。

 面白い男だ。ぜひ仲間にしよう」と言う

ので、私も「ほかにいないから、そう

するか」と仕方なく言った。

 そして、その晩のうちに、赤坂の料亭「金龍」

に集まり、杯を交わし「経世会支配

打破」を誓った。

 小泉首相の政局運営のカンは抜群だった。

 加藤紘一は長く「政界のプリンス」といわれた

が、ついにキングになることができなかった。

悲劇的だったのは「加藤の乱」の失敗だった。

 原因は野党との結託という禁じ手をつかったこと

にあるとしても、正直なところは懸命にモラル

サポートした私にも責任があると思っている。

 本人もさることながら私も政治的未熟さを露呈

して的確なリードができなかったことを

申し訳なく思うところだ。

 今にして思えば、土台無理な試みだった。2人

とも経験不足なうえに焦り過ぎだった。慎重

すぎてもことを成せないが、冷静沈着、

用意周到でなければ荒っぽい仕事

は成就しえないことを悟らされた。

 山崎拓『YKK秘録』

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 今回も最後までお読みくださり、

       ありがとうございました。感謝!

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