再生医療を可能にするiPS細胞を世界で初めて
発見し、2012年にノーベル生理学・医学賞を
受賞した京都大学iPS細胞研究所所長の
山中伸弥さん。
その山中さんの世界的な研究を成功に導いた
ものは何だったのでしょうか。お父様とお母様
から学んだという仕事と人生の要諦とは。
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〈山中〉
私の父親は東大阪で小さな町工場を経営して
いました。従業員は多い時で20名くらい
だったと思います。
もう本当に零細企業でしたから、父親は経営者
でありながら、技術者として
自らものづくりを手掛けていました。
工場のすぐ横に自宅があって、
家にいる時でも設計図を描いたり、
とにかくずっと働いていたんですね。
そういう父親の働いている姿を見ながら育ち
ましたので、どうも私にも技術者としての
血が流れているように思います。
あと、父親は技術者として人の役に立ちたい
という思いを強く抱いていました。
私自身もその影響を受けているのでしょう。
研究で真理を追究し、
人の役に立ちたいという思いは常にあります。
私は子供の頃から病弱で、
中学に上がった時も、ガリガリの体型でした。
そんなんじゃダメだと父親に言われまして、
柔道部に入ったんです。高校を卒業するまで
の六年間、一所懸命に取り組みました。
柔道だけに限りませんけれども、
普段の練習は実に単調なんですね。
毎日2、3時間ほど練習しましたが、
とにかく苦しいし、楽しくない。
その上、柔道は試合が少ないんです。
野球やサッカーはしょっちゅう試合があるから、
モチベーションを保ちやすいと思うんですけど、
柔道の場合、365日のうち360日は練習で、
残りの5日が試合。
試合に勝ち進めばまだいいですけど、
負けたらまた半年間はひたすら練習をする。
その単調さに負けない精神力、忍耐力は
ものすごく身につきました。
これはいまの仕事にも生かされています。
研究こそまさに単調な毎日で、
歓喜の上がる成果は一年に一回どころか、
数年に一回しかありません。
だから、柔道というスポーツを経験したことは
非常によかったと思っています。
もう一つ、私にとって大きかったのは母親の
教えです。
高校2年生の時に2段になったのですが、
その頃は怪我が多くて、しょっちゅう
捻挫や骨折をしていました。ある時、教育
実習に来られた柔道3段の大学生の方に
稽古をつけてもらったことがありましてね。
投げられた時に、私は負けるのが悔しくて
受け身をせずに手をついたんです。
で、腕をボキッと折ってしまった。
その先生は実習に来たその日に生徒を骨折
させたということで、とても慌てられた
と思うんです。私が病院で治療を終えて
帰宅すると、早速その先生から電話が
かかってきて、母親が出ました。
その時、「申し訳ないです」と謝る先生に
対して、母親は何と言ったか。
「いや、悪いのはうちの息子です。
息子がちゃんと受け身をしなかったから
骨折したに違いないので、気にしないで
ください」と。
当時は反抗期で、よく母親と喧嘩していたん
ですけど、その言葉を聞いて、我が親ながら
立派だなと尊敬し直しました(笑)。
それ以来、何か悪いことが起こった時は
「身から出たサビ」、つまり自分のせいだと
考え、反対にいいことが起こった時は
「おかげさま」と思う。この2つを私自身の
モットーにしてきました。
うまくいくと自分が努力をしたからだと
つい思ってしまうものですが、その割合って
実は少ない。周りの人の支えや助けがあって
初めて、物事はうまくいくんですね。
(本記事は月刊『致知』2016年10月号
特集「人生の要訣」を一部抜粋・編集
したものです)
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!