日本人横綱が最後の砦を築いていた時代。
貴乃花はなぜ「伝説」として
語り継がれるのか。
相撲道を追求する偉大なる横綱の
すべてが詳らかになる。
「父でもある師匠から、横綱が決まった
時に『男になったな』と一言
だけ言われました。
それは一般的には褒められてもらった
言葉と思われるかもしれません。
しかし、相撲道の中の師弟関係という
ことを考えると、『戒めて取り掛か
れよ』という意味に思えました」
(貴乃花親方)
「横綱伝達式では、『不惜身命』と
いう言葉を使わせていただきました。
その意味は文字通り、『命は借りて
きたもの、いわゆる天から舞い降り
たものであって、すべて自分の
ためだけに使うのではない。
つまり無駄に死んでいくなよ』
ということだと理解しています」
(貴乃花親方)
平成8年、秋巡業で背筋を
痛めるケガを負った。
貴乃花は休場後、稽古の
方法をかなり変えた。
申し合わせの数を激減させ、それまで
以上に準備運動に時間を割き、四股や
摺り足などの基本動作をこれでもか
と繰り返すようになった。
「稽古場でやるだけが稽古ではなく、
24時間全部使わないと強さは
維持できないのです」
(貴乃花親方)
「相撲道というのは、何も難しく
考える必要はありません。
まずは勝負を誠実に、一生懸命やる。
その結果を出すためにしっかり稽古を
こなし、食事や睡眠も含め、時間を
有効に使う。
実にシンプルなことなのだと思います」
(貴乃花親方)
長いトンネルに入り、もがき苦しんだ
貴乃花だが、平成13年になると、地道
な努力が報われるように、力強い
相撲が甦った。
夏場所の優勝決定戦では、とても相撲が
とれる体調ではなかったが、相撲史上
最高ともいえる奇跡が起こった。
執念で武蔵丸を仕留めた。
勝負が決まった直後の、阿修羅のような
形相で仁王立ちした場面は、
あまりにも有名だ。
総理大臣杯をわたす小泉純一郎首相は、
「痛みに耐えてよく頑張った。感動
した」と絶叫した。
まさに執念でつかみとった22回目の優勝
だが、その代償はあまりにも大きかった。
「上手投げで武蔵丸関を破った瞬間は、
『鬼の形相』とか『阿修羅の顔』とか
言われましたが、あの時はただ純粋
に付け人を見たのです。
ふだんは私が勝っても相手の気持ちを
重んじ、喜びを見せないことを心掛け
ていた彼らが、あの時だけは勝負が
決まった瞬間に全員がジャンプし、
喜びを全身で表していました。
それで思わずああいった
表情になったのです」
(貴乃花親方)
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!