日露戦争の戦費調達を命じられた高橋
是清は、ロンドンで日本国債を売り
出し、英語力と人脈を駆使し
て成功を収める。
蔵相、首相をも歴任、金融恐慌の鎮静
化にも尽力するが、経済を破壊する
軍国主義の波が押し寄せる。
相場というのは、世の中の変化をもっと
も敏感に察知し、先を争って動くものだ。
ロスチャイルド家の情報網は別格だった。
19世紀の三大通信社はどれもユダヤ系だ。
常に当事国の外務省や新聞社よりも一歩
先んじ、しかも正確な情報を入手する。
それを投資に活かして、巨万の富
を築いてきた歴史がある。
投機家は常に利益を追求する。
どこまでも儲けに貪欲で、
敗者に賭ける者はいない。
それが市場というものだ。
是清は知っていた。知識でもな
く、理論でもなく、身をもって
経験から得た真実として。
是清は、机上で理論を練り上げる
学者肌の人間ではない。
あくまで現場の生の声を聞き、その裏
にある本質的な問題を炙り出す。
そのうえで難局を打開していくため
に何が必要かを見出したら、迷
うことなく実行する。
素早く、そして柔軟な思考回路
を持った人間なのである。
高橋是清大蔵大臣は、「内外国策私見」
と銘打った意見書を作成した。
海外から日本を見る視点を
失ってはいけない。
国内外に向けての確固たる国策、目先
の事情に囚われず、本質論に基づい
た国家戦略が必要なのである。
多忙をきわめていた時代も、のんびり
した一日を自分と家族のためだけに
使えるようになってからも、是清
の日課はほとんど変わりなく
規則正しく過ぎてゆく。
まずは朝5時半に起床。それから
ゆったりと朝風呂に入る。
風呂場は考え事をするには最適な場所だ。
現役時代からさまざまな政策に思い
を馳せ、頭の中を整理したり
するのが習慣だった。
政治の最前線から離れても、学びの
姿勢は生涯崩すことはなかった。
子供のころから正規のエリート教育を
受けてきたわけではないだけに、是清
はみずから研鑽を積み、努力によっ
て知識を得る姿勢を当然のこと
と思ってきた。
欧米の新聞や専門書を丁寧に読み込む
習慣はどんなときも変わらなかった。
また海外赴任や出張から帰国してきた
者たちが、必ずといっていいほど
是清を私邸に訪ねてきた。
渡航先で自分がつぶさに見聞きし、感じ
てきたことを是清にぶつけ、そこから
示唆を得、思索を深めたいと報告
にやってくるのである。
そのため、たとえ現場を退いたあとでも、
是清のもとには常に新しい海外の経済
情報が集まることにもなっていた。
金融恐慌の最大の波が迫ってきた
ときに、大蔵大臣に就任した。
是清の対応は素早かった。
72歳とは思えぬ回転の速さと、
行動力である。
際立ったスピード感とダイナミズムを
兼ね備えたその手腕は、「疾風迅雷
のごとき行動力」と称えられ、
「高橋さんを引っ張り出
しただけで、すでに
成功だった」とも評された。
たしかに「是清、蔵相に立つ」の報道
だけで、国民は悪夢から覚めたよう
に冷静になったのも事実だろう。
迅速ではあるが、二段三段構え
による漏れのない緻密さ。
大胆であるが、細部まで行き
届いた繊細な配慮。
これ以上ないほどの見事な対応は、
現場のメカニズムを熟知している
是清だからこそ可能だったのである。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!