「米国人は立憲君主をまったく理解して
いない」「君主は単にゴム印を押す存
在ではない」(英外務省内部文書)
戦後、GHQによって「象徴」とされた天皇
のあり方について、立憲君主制の老舗の英
国は、そんな表現で、日本の宮内庁に
助言をしていた。そこで、昭和天皇
はどう動いたのか――。
本書は、近年機密解除された英米の公文書を
たんねんに読み解き、奇しき縁で筆者にもた
らされた昭和天皇側近のインタビューテー
プを繰り返し聞くことで得られた、まっ
たく新しい「象徴」天皇の姿である。
戦前、政府、軍部の上奏を信頼した結果、
未曾有の敗戦を招いてしまったという苦
い経験から、戦後の昭和天皇は自ら世
界情勢の情報を集め始めた。とくに、
国際共産主義に対する警戒心を隠
そうともせず、英米の要人と情
報交換をするさまは、あたか
も天皇自身が国際政治のプ
レイヤーであったかのようだ。
さらに、次代を担う皇太子には、自分で考え、
自分の意思で行動することを教えるため、
バイニング夫人を招聘するなど、
新しい教育環境を整えた。
昭和、平成と受け継がれた、新しい天皇像
は、海外留学を経験した始めての天皇で
ある令和の御世の新天皇のもとで今、
花開こうとしている。
クラッシャーの自宅がある広尾で
何回か昼食を奢ってもらった。
その時の話題は過去の思い出が中心だった
が、日米の政財界の内幕や駐日米国大使館
の誰がCIA要員だったか、初めて聞く戦
後史の秘話が次々と飛び出し、食事
も上の空で聞き入っていた。
だが正式な取材ではないのでメモを取る訳
にいかず、別れてから近所の公園のべンチ
で懸命に書き取ったのを覚えている。
そういう会合が何回か続いたある日、クリ
ッシャーが何気なく、戦後長らく昭和天皇
の通訳を務めた日本人に長時間インタビ
ューした録音テープを持っていると呟いた。
その人物はもう亡くなっており、自分も
今さら記事にする予定もなく、興味が
あるなら提供してもいいと言う。
私はその場で申し出を受け、それが「真崎
テープ」との出会いのきっかけだった。
それから数年間、彼とは会う機会がなかっ
たが、不思議なことにこれ以降、世界中
から私の元に皇室を巡る新たな証言
や資料が相次いで寄せられるようになった。
それはまるで磁石に引き寄せられるようでも
あり、私は情報提供者と連絡をたやさず、可
能な限り赴き、それらを入手していった。
これらから浮かび上がったのは、「象徴」
であるはずの昭和天皇が、まるで駆り立
てられるように国際情勢のインテリ
ジェンスを集め、また、それを
陰で支援するネットワーク
が存在したという事実だった。
そして米国や英国政府も、あらゆるルート
で皇室の内情を探り、自らの国益の
ため利用しようとした。
それは昭和から平成、そして令和へと脈々
と続く歴史の裏のドラマと言ってもよい。
長年、宮中の通訳を務めた真崎秀樹は生前、
クラッシャーに天皇と世界の要人との
やり取りを明かしていた。
国際情勢のインテリジェンスを
求めた天皇の姿が浮かんだ。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!