国土交通省のスタッフが見えないところで
被災地支援にがんばったことを記録に残し、
一般の人々に知ってもらうことが、自分
にできることだと、思い至った。
「いいと思ったことは何でもやれ」
大畠大臣が徳山局長に全権委任。
震災直後、大畠大臣は、東北地方整備局長
の報告と意見具申を受け、現場の裁
量でやるよう指示した。
「とにかく人命救助を第一に。現地のことは
君にしか分からないんだから、局長は政府代
表のつもりで、いいと思ったことを全部
やってほしい。あとの責任は持つ」
大畠大臣は、責任は自分が取るとして、
現場司令官の徳山に全権委任した。
徳山は、災害対策室の100人近い
職員にマイクで指示した。
「明朝から人命救助と救援のためのルート
を確保するために、そこへ向かう道を『啓
開』によって開ける。徹夜でその準備を
行ってほしい。明日から勝負だ」
徳山はさらに3つのポイントを示した。
1.ヘリの視察箇所を絞る。
2.救援ルートをどうひらくか。
業者の手配を早く。
3.自治体に、判断出来るレベルの職員を
派遣する応援体制の確立。
このなかの3が、かつてない大きな役割
を担ったリエゾンの、かつてない
規模の派遣となった。
「ヤミ屋のオヤジ」国交省東北地整局
がなんでも調達団になる。
震災後、徳山のもとには、管理道路や河川
の被災情報のほか、行政機能を失った市町
村があること、県からの支援物資が市町
村に届いていないこと、通信手段がな
いことなど、とにかく支援が圧倒的
に足りない実情が、市町村や県庁
に派遣したリエゾン、出先事務
所などあらゆるチャンネルから伝わってきた。
未曾有の大震災に際して、大畠大臣の指示
を実践するのはどういうことか。何でも屋
になって、何でも必要な物を支援し、何
でも相談に乗って、できる限りのこと
をすることだと、徳山は腹をくくった。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!